錯簡雑記  在宅介護手当 の増額について

現実の 日本社会では

出生する

人間の 命に 対しての

親の環境は

 

育児休暇や 育児手当

育児休業 育児休業給付金

などの 社会保障が

法制化 されている

 

考えて貰いたいのは

失われて いこうとする

人間の 命の ことに

関する問題である

 

介護に ついての

国の 制度は

受託する 保障制度さえ

かなわない  事のある

現実を 無視して

 

当たり前   のように

国民から 徴収している

介護保険料も 財源の

一つであろうと 思われる

 

税金から 拠出されている

そのお金に ついての話である

 

医療関係者 福祉関係者への

助成金は  何を 目標とした

使途への 助成なのか

はっきりしない

 

お年寄りや 障害者を

誰も かれも

施設に 入所させることが

最も 正しい事のように

医療機関が 次々に

建立する ビルの 施設群

 

現実の 世の中の

おかしさを

なにかしら 感じる

 

確かに お年寄りたちの

集う 居場所の 提供

デイサービスなどの

必要性は 感じる

 

医療 福祉関係者への

あらゆる目的に 使われる

助成金の 配分と

目標とは 一体 何なのかと

詰問したい

 

お年寄りが

住み慣れた 環境や

家庭 家族から 離れた

生活の 援助を

 

ほんとうに 受けたいと

思っているのかどうか

 

その メンタルな問題

 

それを 解決する ことこそが

本来の 社会保障の 目標

意味合いでは ないのか

そう 私は 訴えたい

 

企業や それらの

医療 福祉関係者が

介在する事による

システムは

 

その関係者たちを

ただ 経済的に 潤すだけの

始末にしか なってない

と 思える

 

本当の 医療 福祉の 目標とは

何なのかと 問いただしたい

 

家族を 頼りたくても

その生活に 関わる

負担を 考え

みずから お年寄りが

施設に 入所する

 

その思い 気持ちを

本人から じかに

聴いたこともある

 

知り合いの

母一人 娘一人の

女の子も

親の 介護のため

施設にも 入所させられず

 

女の子 本人

としての 人生も

捨て去っている

現実だって

知っている

 

福祉医療に

新らしく 法制化された

NPO法人との 組み合わせで

起業 出来ることが

福祉事業は 儲かるぞ

 

そう 平気で

うたっている

日本の 福祉関係の

ホームページは

 

恥も 外聞もなく

世の中に 公表され

そのシステム作りまで

商売に されている 現実は

 

日本の 福祉に係る

大きな 恥を

世界に 公表 宣伝している

ことを 知るべきで あろう

 

施設の 建立される

お金も

 

施設で 働く

従業員に 支給される

給与も

 

政府の 助成金

 

国民の 税金から

 

公務の仕事に 支給される

ように 拠出される

又 利用者が 施設を 利用することの

政府の バックも 施設に 助成される

変な風に 負い目を 感じて

宗教的に 恩でも 受けているような

錯覚に 囚われ 必要以上の

感情を 背負わされたり している

現実さえもある

 

その他

施設に 対する

支援や 補助

それ以外の

機関による 補助金

 

医療 福祉関係者 だけに

お金が

まわっていくことが

 

さぞかし

雇用状況の 進展につながり

 

医療 福祉の 業界が

 

経済や 世の中の

安定 再興に 貢献し

 

本来の

福祉の 目標として

錯思されている

 

その様な 世の中の 風潮が

我慢 納得 出来ない

 

昔の 姥捨て山の

人情さえ 感じ得ない 現実が

当たり前のように

認識されている事が

不可思議に思える

 

 

 

介護の 大変さを

私は 実母の

世話をする

経験 以外にも

あちら こちらで

たくさん 耳にしている

 

お年寄り

弱者 障害者を

最期の さいごまで

金儲けの 材料のように

考える 政治の現実

 

日本医師会の 権力への

影響力の 現れ

そのようにも

錯覚して 囚われる

 

介護を 必要とする

お年寄りに 対する

政府の 施策は

 

どこか

熱を入れる 順番が

誤って いるような

気がする

 

住み慣れた 環境や

家族と 共に

少しでも 穏やかな

終末を

迎えさせて やること

 

お年寄りの

残り少ない わがままを

聞いてやれる 環境

 

そんな 介護や

システムづくり

 

家族に 対する

介護で失う 生活費の

保障としての 在宅介護手当

給付金の 増額を

願うのは

 

次に 準ずる

としか 思えない

現 介護システムに

先立つ

政治的 問題では

なかろうか

 

介護システムの

現施策を

洗い直す

必要性を

重大

重要な 要件と

して感じている

のは 私だけで あろうか

 

それでは

錯簡雑記   無菌室の授乳

私が まだ子供の頃

路面電車の中で むずがる 赤ん坊に

おっぱいを ペロっと 出して

赤ん坊に 母乳を 含ませる

姿を 見た事を 思い出す

その頃の 時代でも 町なかでは

珍しい 光景だったように 思う

まだ 前の時代

おっぱいの 出ない母親は

もらい乳を 乳母とよばれる

よその母親から もらったり

やぎの 乳を 飲ませたり

していたという

食糧難の 戦時中の 話を

母親から 聞いた 記憶がある

粉ミルクが 発明されたのは

母親たちには 福音だった のであろう

しかし 赤ん坊には 一概に

そうであったとは 言えないような

気がする

胎盤から  栄養を 受けて

育っていた 胎児が

赤ん坊として 出生した その時には

赤ん坊の 腸内には

消化を 十分に 助けたり

体の機能の 育成に 関わる

抗体を 作り出す 細菌が

満足に 備わって いるとは 思えない

粉ミルクの 授乳が ほとんどの 日本社会は

母乳による 抗体のもと

善良な 細菌の吸収など 計れない

生きた抗体は 粉ミルクでは

決して 取り込む事など できない

その現実が 赤ん坊の 育成を

阻んでいるばかりか

まるで 空気中に 存在する

すべての 細菌が

人間の 体に 不健康を 与えるような

現社会の 風潮に

つながって いったような 気がする

体を ほかの 病原菌から 守る

常駐菌まで 毎回まいかい

ボデイシャンプーで 洗い落とす現実が

臭いと いうものの

自然な 発生までも

忌み嫌うように なったのも

現実であろう

どういう 意味か 私の 子供の時代の

野菜の 栄養価は

既に 十年以上前の

日本国の 統計でさえ

半分以下に

下がって しまっていることが

野菜を 繊維と 呼ぶ時代を

作ったのであろう

無菌室でないと 生きれないような

人間が 無菌室の豚を

作り出す 結果に及んだのか

匂いによる 差別の 原因を

子供の 世界に 作り出している

現実は 知る由ではないが

それでは

錯簡雑記  2018年 元旦への beLief

beLiefを なぜ名詞と 区分けするのか

動詞には 自動詞 他動詞という 分類があるが

beLiefという 英字を区分するなら

動名詞として

分類されるのでは なかろうか

名詞とする 区分けは おそらく

人間社会の 信仰の 対象として

存在した  神の子 ならぬ人物に

よるものであろう

 

語句の成り立ちとして

Laveは

beLief      beLieveの

時代的変遷の上に

成り立ったのであろう

と推測する

 

なぜ Lave なのか

元は Life であった

と思う

その歴史的 関連を 問いただせば

Leaf

であろうとも  錯思する

 

2018年を迎える

 

今歳末に到り 帰省客の 交通渋滞の

解消とは思えぬ

あまりの 規制の 徹底ぶりに

 

日本の 一県警

わが 北九州

小倉北警察署の

交通規制課の

人と 交わした

会話を 思い出す

 

何かしら 警察が

 

国家権力 運輸族に

立ち向かって

 

政治の 不正を 正そうと

しているような

 

大きな 楽しい 勘違いが

嬉しくて しょうがない

 

天国に

指導者なのか

権力者なのか

王様か

 

神様が

居なければ ならないと 思う事が

 

自由

平等

平和

 

そんな 理想の 世界を

いつまでも 実現できない

考え方 である事を

わかって 貰いたい

 

たくさんの

神様や 仏さまが

 

お互いに

自分の教えに

従う 信者たちの

天国の 勢力を

ひろめようとして

 

いさかいが 起きたり

何かと お金を集めに

営業し いや 布教と 表現し直そうとも

 

そんな 現実が かえって

他宗教の弾圧や 差別や

災いの 原因を作り出したと

私は そう思っている

 

命の世界を

人間が

命の主体 のような

一つの 考え方のみに

統一しようとする

無理が

 

戦争や 差別

自然の破壊 間違った意味合いの

自由

権力

権威

儲け

という形のみの

お金に

終止する現実や 物作りなどが

 

世界を

それぞれに

腐らせて

いったように 思える

 

永遠という

ごまかしを

うたい

愛 慈悲と

となえ

 

正しい教えが

時代も

国も

男も 女も

年よりも 子供も

健常者も 障害者も

すべての命 に対し

旧訳とか 新訳とか

人に合わせて

法を説く など

編集して

作り変える

必要性など

なに一つ

存在しない はずである

 

すべての命は

その命の 存在を

肯定され

すべての 命は

許されて 生まれて 来たことを

わかって 頂きたいと 私は そう思っている

たった 二文字

命 最期の答え

 

由有(ゆう)= 有って由(あってよし)

_____そう認める答である____

 

すべての命は

生きながえる 事の

出来る 命を

奪わなければ

生きていけない

 

生きる事の 現実の

せつなさを

それぞれに 知り

お互いに

その命の 存在を

肯定し

すべての命を

認めることが

あらゆる考え方に

通じていく

命の 最期の 答えで

ある事を

私は 信じたい

 

例え植物でも

人間の 体から

水分を 抜いて しまえば

10%程度の

栄養素しか

残らない 現実を

知らなければ ならない

人間が 命を謳うなら

例へ 赤い血を 流さない

魚や 植物の 仲間でさえ

命でないとは 言い切れない

 

最初に 分類 命名した

生物学者が

なにかの 考え方から

行なっただけの

区分けに 過ぎない のではないか

グローバルと 騒がれても

どの 世界地図 ひとつ

それぞれの

国の名を

それぞれの 母国語で

表現したものが

一つもない

その現実が

表記そのもの であろう という気がする

病原菌は すべて 人間に

害のあるように

とらえられ

ばい菌などと

わが国では 呼ばれているが

体に 付着し 常駐している 細菌が

他の 細菌から体を守っている

現実も 知るべきである

 

もちろん 腸内にある

細菌の おかげで

命が 長らえていけることも

合わせて 知るべきである

 

死に到る 細菌の流行 繁殖も

自然の

人間への

メッセージ かもしれない

 

何もかも

人間が

命の 主体と 言いたがる

物の考え方や

利害だけの 計算が

 

ささいな 嘘を

まるで 破滅の道に続いている

ともいえる様な

高速道路の上を 突き進んでいく

車に乗った 暴徒のごとく

思うのは 私だけであろう

 

行きつかぬ

題目を唱え

 

漫画のような

わかり易い

交通規制の

矢印のように

 

解かりやすい ことから

人間が 順番に 認識するように

 

本人の思いを

本人の 願うような 夢を

解かりやすく

表現することで

利用されて 来たのでは

あるまいか

 

お望みならば

どうぞ

御勝手に

 

権力や権威を

振り回し

 

すぐに 世界で

一番 偉い人に なったり

 

経営の 神様か

偉人に なって

表現した 文言に

自分を 天 と言ってみたり

人間性を 謳って

神や 仏を 名乗りたがる

世界の えらい人達に

振り回されることを

 

私は 好まない

 

雲の上で 集めた金で

勝手に 天国や 理想国家を

つくって 頂きたい

 

日本の正義が

世界まで

変えて

行くのでは

ないかと

 

ひょっと したら

 

裏の 道も

任侠の

本来の 意味を

取り戻す のではないか

 

そんな 楽しい勘違いを

信じ 夢を拝みたい

 

2018年 元旦

初日の出

太陽の

昇る姿に

 

 

Turn over    a    new     Leaf

 

それでは

 

錯簡雑記  歌詞   心の重さ ほでてんごう

カエルの鳴き声よりも 秋の虫の声が

宵闇の私の景色を いろどっています

セミも終わりました

昨夜つくった新曲です

ここに公開しお届けします

 

歌詞  心の重さ  ほでてんごう

 

(1)

ながす涙で  咲く花が

あれば  夢みる  花園に

赤や黄色や  白い花

季節を知らずに  咲きほこる

 

計算ばかりの  人の世を

歩けずはぐれた  つずら道

人の情(なさけ)が  身にしみる

 

(2)

泣いてかたずく  ことはない

こぼす  涙の  重さより

がまん辛抱(しんぼう)  忍耐の

流した苦労の  汗しずく

 

わかって欲しいと  願うより

一筋(ひとすじ)とおして  生きる道

温(あつ)い情の  手がのびる

 

涙を拭(ぬぐ)う  ことよりも

額(ひたい)に汗する  人生は

心の重さが  違うのさ

 

 

 

 

 

 

錯簡雑記 歌詞 愛のかたち    ほでてんごう

最近は 私の会社で パブを開くため その準備に追われ

mentalpitの 原稿を書く暇がなかった

久々に今朝は 休みをとったので 朝日を昇るのを 待ちながら

新曲を作ったので ここに公開お届けする

 

歌詞  愛のかたち  詞 ほでてんごう

 

(1)

愛の  言葉の  かるさ

わざわざ  愛(いと)おしいと  おくり

故郷(ふるさと)の  あなたへ

したためた  便(たよ)り

この街は  哀(かな)しい  ばかりの

温(ぬく)もりさえも  売りもので

クロスを  きって  祈れば

どこかで  誰かが  儲(もう)かる

 

(2)

愛の  かたちは  どこへ

誰でも  願うことは  永久(とわ)に

安らぎと  しあわせ

夢やぶれ  今日の

パンを買う  コインを  投げ捨て

あなたのもとへ  故郷へ

羽ばたく  空の  小鳥よ

還(かえ)ろう  このまま  昔に

還ろう  このまま  昔に

 

それでは

錯簡雑記 歌詞 貴方だけは   ほでてんごう

歌詞  貴方だけは  ほでてんごう

 

(1)

さがす愛では  ないけれど

やさしさ売るよな  この時代

貴方だけは  違うのと

信じていたい

 

影を背負った  恋だけど

先にみる夢  ないけれど

はなれられない

はなれたくない

女の性か

 

(2)

実のる愛とは  思えない

ほてった乳房は  若さぐれ

瞼(まぶた)とじて  さがしても

貴方に届く

 

影を背負った  恋だけど

先に見る夢  ないけれど

はなれられない

はなれたくない

女の意地か

 

はなれられない

はなれたくない

女の性か

錯簡雑記 歌詞 その場しのぎの仕事で良けりゃ

今日は旧暦の5月23日

釈尊の入寂にちなんだ やぶいりなのか

ぼん送り火である 釈尊の死を

入寂と呼ぶのか どうかは知らないが

 

本日久々の休みで 20時間も 空白の時間があると

ぬか喜びをして つい できた唄である

後で 気づいて 仕事の山に 泣かされる

前に 玄関先の 椅子に腰かけ

朝早くから 気に入って 唄っていた

 

歌詞 その場しのぎの仕事で良けりゃ

 

その場しのぎの 仕事で良けりゃ

金さえもらえば 果たします

世の憂(う)さ うれう 祭りごとでも

幸せ願う 神ほとけでも

その場しのぎの 仕事で良けりゃ

やってみせます 果たします

口糊(くちのり)拭う 銭さえあれば

生きていけます わたしなら

余るお金は しっかり貯めて

あの星 買うのに 使います

恋しさ わびしさ 淋しさ あれど

捨てていきます この星を

 

一番だけです  それでは

 

錯簡雑記 歌詞   あなたがいれば   ほでてんごう

私たち 夫婦は 以前にも 記したように 共稼ぎです

私は いつものように 帰宅後 夏の暑さに

玄関先で 服を全部脱ぎ パンツひとつで 椅子に腰かけ

景色を眺めるのですが きょうは 女房が ビールを

買ってくれましたので 心待ちにしながら いつものように

トンボや 鳥などを眺めていましたが いつまでたっても

ビールの 配膳がありません 女房の 性格ですから

自分の仕事が 片付かない限り 無理だと気付き

午後8時30分まで 待っていましたが しびれをきらし

尋ねて みましたら 今日は頭痛がして わがままを

言わないでと 小言を 言われましたので はいはいと

家へ もどりました

今朝 作ったばかりの 新曲です

 

あなたがいれば  詞 ほでてんごう

 

あなたがいれば

あなたがいれば

あなたが  いれば

この幸せを  命のよろこびを

わかちあわずに  私をおいて

戻らぬ旅に出た

昇る朝日に  背を向けて

 

あなたがいれば

あなたがいれば

あなたが  いれば

この幸せも  生きてるよろこびも

鳥は羽ばたき  野ばらは咲けど

寄り添う愛はない

沈む夕日に  手を合わす

 

あなたがいれば

あなたがいれば

あなたが  いれば

 

 

それでは

錯簡雑記 曲がった道  ほでてんごう

私がまだ 青年と言える 18歳の頃 ガソリンは

1リッター 60円位だった

タバコは セブンスターが確か 180円

30本入りの ミニスターという タバコもあった

親の使いで もっと子供の頃 買いに行っていた

いこい しんせいは 確か 40円だった

昔の 物価のことを 言いたいのではない

戦争に 行くのに 軍人は

飯が食えて 金がもらえ 女が抱けて タバコが吸える

そんなことで 志願する 兵隊も いたようである

戦争犠牲者の 話を 美化するのは 勝手だが

政府は 裏で ちゃっかり そんなことも

うたい文句に していたのである

 

米も酒も タバコも

たくさんの どうでもいいような

施策を 組んで しっかり政府の金儲けに

利用するような 結果となったのである

景気の後退 社会の流れに 政府管掌の

色々な 組織は 解体せねば ならなくなったのであるが

タバコを例にとると 政府管掌で 体に悪いとか

厚労省の 無駄な予算の 消費だとか

遠回しに 余計な 公告や法制化しても

しっかり 日本たばこ産業株式会社の

株主のため たばこ販売禁止という 簡単な

立法議案さえ 起こってこないのである

儲けを ふところにいれる 金の流れを

知る事も 大切である

作る事は 禁止できないが 契約農家のつくる

原材料のたばこは この自由経済の

仕組みの中でも しっかり 流通しないように

なっているのである ひょっとしたら

契約内容は 独占禁止法に 触れるのである

ガソリンの 話であるが 日本ほど

ガソリンの高い国は 無いと聞いたこともある

産油する 資源を 持たない

日本は タンカーを 軍隊までつけて

保護する現実であるが

化石燃料に頼らない 動力が すでに

現存 しているのも 現実である

一民間企業の 開発した

水素エンジンは すでに 試作品が

出来上がっているのである

なぜ

たばこも

ガソリンも

いつまでも 政府が 干渉したいのか 理屈は

50%を 越える 高い 税収入だけでは

ないと思うのは 人情であろう

早く 政治屋ゴロ みたいな 奴らが

政権を 外れることを 願って やまない

それでは

錯簡雑記 沖縄慰霊の日 ほでてんごう

今日は 沖縄慰霊の日です 20万人以上の 戦争犠牲者を

慰霊することにより 二度と 戦争を起こさないように

願う日なのでしょうか 憲法では

戦争を 起こすとか起こさない ではなく

権力や 権威 お金 考え方の違い 風土の環境の違い

宗教の違い 馴染まないことによる 無理解を

軍隊という 暴力で 解決しようとする戦争を

肯定せずに

暴力による不戦こそを

明記すべきでしょう

戦うことが 刃物や 小銃 ミサイルや 核弾頭 戦車や

飛行機 イージス艦 医療や 科学

その他の 文化文明の 進歩や 発展を

間違うことによって 構築していった  世界であることは

人間にとって

皮肉な お話しです

沖縄戦で 失った 命は

沖縄の人に続いて 北方の地

北海道の 人が 多いと ききます

本日は 以前にも 公開しました

歌詞 恋晩夏 を再度 投稿 公開します

 

歌詞 恋晩夏(こいばんか)  ほでてんごう

(1)

一人で背いても  損(そこ)なう命

正義を旗頭  時代の波に

押され呑まれて  お国のためと

 

今年も  夏が来た

ハマナスの花よ

残り指折る  私の夏が

 

(2)

言葉も交わせずに  目も伏せながら

恋心(思い)のひとつさえ  小さな胸に

幾重たたんで  小旗を振った

 

今年も  赤く咲く

ハマナスが香る

宗谷岬は  今では遠い

 

(3)

恋とも言えぬまま  案じて祈り

一途な心こそ  愛だと信じ

お下げ髪した  挺身隊の

 

今年も  夏が来て

ハマナスの花よ

散ったサハリン  あの恋晩夏

錯簡雑記 目標の設定について ほでてんごう

人生においても 仕事 日々の生活でも

意識する しないまでも

目標を 持つという事が 幸せの 分岐点だと 思われる

病を 持つ 人達は特に この目標意識が 闘病生活により

希薄 あるいは 持ちえない

健常者でも 目標意識の 大切さを 忘れてはならない

この目標であるが ともして 正体を勘違い している

方もおられる 目的とは あくまで 手段のかたちを言う

それがお金であっても 間違いでは 無いと思う

生きていくのに 一人で 何もかも処理することは

並大抵の 努力ではないし 時間を 必要とする

大金ばかりが 生きていくのに 必要であるとは

私は考えないが 生きていく 最低限のお金の

必要性は 否めない事実である

目標の設定であるが ひょっとしたら 貴方は

その目標の 裏側に あることが 貴方がほんとうに

願う事かもしれない

私は 唄を作る事を 仕事としているが

売れる唄づくりばかりを 考える事はない

もちろん売れなくては 困るのであるが

良い歌を 作っていく事を 目標としている

売れる唄ばかりが 商売上では 良い歌と

されるのは 不本意である 確かに 独りよがりでは

どうにもならないが

目標の 裏側とは どういう 事かというと

スターに憧れて 唄の道を 歩んでいくとしよう

この時の 目標はスターである

スターになる事が目標なのである

有名になり お金が入り 世間からちやほやされる

それがこの裏側の 目標なのである

唄を歌いたい みんなに聞いてほしい

そうではなく 有名になる事 お金をつかむこと

世間からちやほやされる事 リッチな暮らしをおくる事が

本人の 本当の 目標なのである

それを 叶えるためなら 唄でなくても 他の道もあるのである

このように 目標の設定をするとき その目標が

叶った時 自分のしたいことは 一体何なのか

それが 本当の目標 ではないのかと

自問自答してみることも 重要だと 考える

ただ段階によって 目標が 作り直されていくという事もあるが

それでは

 

 

錯簡雑記 歌詞 八重桜   ほでてんごう

この作品も 10年くらい前の ものになるでしょうか

親から 習った 人生の生き方 親への思慕 感謝の気持ちを

表現しました

ほでてんごう氏の 歌詞 八重桜 を公開お届けします

 

歌詞  八重桜(やえざくら)  詞 ほでてんごう

(1)

忘れ去られた  木造りの

牛乳箱に  煤(すす)けた表札

時間の止まった  路地裏で

テレビだけが  勝手にさわぐ

八十路(やそじ)を迎えた  父ひとり

丸くなった背に

かける言葉も  ないままに

心残して  八重桜

 

(2)

田舎(いなか)暮らしが  気楽だよ

心配ないさ  元気で暮らせと

苦労を重ねた  母さんに

夫婦(めおと)湯のみ  供えて一つ

わずかな言葉の  温(あたた)かみ

親不孝(ふこう)許してね

遠く嫁いだ  わがままを

心詫(わ)びては  八重桜

 

(3)

遅い桜が  散る五月

世間に残す  名もなき人生

それでも幸せ  生きた父

習いました  平凡だって

ただただ普通の  それこそが

きっと大事だと

そっと位牌に 掌を合わす

心さみしい  八重桜

 

それでは

 

錯簡雑記  歌詞 母の日 讃歌  ほでてんごう

5月の第2日曜日 日本では 母の日 とされ祭日となっている

何とか母の日に 公表したいと思ったが 本日の校了となった

ほでてんごう氏の 最新曲である

遅ればせながら ここに公開お届けする

 

歌詞 母の日 讃歌 詞 ほでてんごう

いつかは 旅立つ

はかない この命

なぜに苦労の つずら折り

泣いて笑って 人生演歌

上手に唄(うた)えずに

あなたを困らせた

 

よろける足に 肩をかし

ほそった躰(からだ) 口元の深いシワ

絹糸(きぬいと)白く ほつれ髪

 

ありがとう お母さん

私も 親の道

あなたへ贈(おく)る 母の日 讃歌(さんか)

 

いつかは 旅立つ

はかない この命

なぜに苦労の つずら折り

泣いて笑って 人生演歌

上手に唄えずに

あなたを困らせた

 

ありがとう お母さん

私も 親の道

あなたへ贈る 母の日 讃歌

錯簡雑記  治療法概念

精神病

統合失調症を 患っている 人たちは

口癖のように 逃げ口上を 唱える

病気だから 仕方がないと

病気であると社会に 認識される事に

甘えていては 一生 薬漬けの

廃人で 終わってしまう可能性も

あるかも 知れない

その意味を 考え直す必要性もあろう

精神病 統合失調症は

不治の病ではない

医療側は 投薬により

神経伝達物質 ドーパミンや アセチルコリンなど

そのほかの たんぱく質の 受容体に於ける

ホルモン量の 調整などによって

治療を行っているようであるが

観察することによる 再発の 危険性の予防を除けば

錯乱状態や 興奮状態を過ぎ

比較的症状が 落ち着けば 入院の必要性もなく

医者は 指示できないだろうが

自分で クスリの 服薬量を

調整すべきであるが その判断が

難しい面において とりあえずは

医者に 減薬の 申し出を してみても

よいとおもう

私は 勝手に クスリを 断って 働いていた

生活 しなければ ならない 金銭的な 理由もあった

服薬していると 働けなかった 振り返って思うのは

24時間延々と 寝ている間も

尋常ではない 病気への 集中力

ほんとうに

疲れ果てて お願いだから助けて

泣きながら そう言いたくなる

苦しみを 背負った人たちに

私も 入院する状態の頃 そうであった

施設に 収監し 生命 身体の保護や

投薬による 一時的な思考の停止は やはり医療による

進歩であり 精神病の 治療の改善に よるものと云える

おかげで いいようのない 苦しみから 救われると

おもうことが クスリへの 依存度を 高めるのだろうが

服薬は 合法的な ドラック中毒と 言えるかもしれない

今まで 私が 記してきたのは 退院後のことである

この 病気に向かってる 集中力を 切り替えたり 高めたり

維持する 仕方などであったが 購読者の 方々の

参考に なればありがたい

自分の病気は 自分で 治すもの

その意識 動機付けをも 述べたつもりである

皆さんが 心の障害による 差別を忘れ

何一つ 囚われる事のない

本当の 自由を

精神の 開放を

知る事を

私の喜びと

する

 

 

錯簡雑記 歌詞 男太鼓   詞 ほでてんごう

昔 今はむかし ずうっと昔 やくざと呼ばれる 男たちは

筋ものとか 極道とも呼ばれ 曲がったことを

する者たちを 相手に 任侠の世界で しのぎを削って いたと

思っているのは 私だけでしょうか

暴力団と呼ばれ 裏街道の 男たちは

通すべき道を やはり金に 売り渡したのでしょう

非社会的な 唄は 現代は 時流ではありませんが

その考え方に 現代人が 忘れている 何かを

感じることも あります

今日は ほでてんごう氏の おとこの唄を

公開お届けします

題材にしている 季節には まだ早いですが

男だてと 任侠は ほとんど同じ意味です

 

歌詞  男太鼓   ほでてんごう

(1)

木っ端(こっぱ)な泣きごと  ほざくより

打てよ届けよ  響の灘(ひびきのなだ)へ

男太鼓(おとこだいこ)の  みだれ打ち

アゴじゃ通さぬ  おとこの意気地(いきじ)

板子一枚(いたごいちまい)  命を賭ける

天成  天下の

オレは小倉の  男だて

 

(2)

一途(いちず)に思うは  おまえだけ

吹けば飛ぶよな  乏(とぼ)しい暮らし

男太鼓の  流し打ち

金で秤(はか)れぬ  心の値打ち

漁の稼(かせ)ぎは  一円足りと

恥(は)じいる  ことない

汗と血潮の(あせとちしおの)  男だて

 

(3)

この地で生まれて  浜育ち

打てば轟(とどろ)く  響きの灘へ

男太鼓の  みだれ打ち

親も子もない  いっぽん稼業(かぎょう)

捨(す)てて祇園(ぎおん)の  バチ持つ今夜(いま)は

天成  天下に

ひとり小倉の  男だて

錯簡雑記 ラクビーのスピリッツ

私は 以前にも 書き記しましたが ラクビーの

スピリッツが好きです

形ばかりの民主主義 政治の形態としての

大統領制を 私は いっているのでは ありません

ラクビーの 一人ひとりの プレイヤーのように

それぞれの国の 国民 一人ひとりが

肩を たたきあうような まどろこっしい 形としての

政治に 期待するより

一人が

すべてのために

すべてが

ひとりのために

そんなスピリッツが

世界に 存在するのですから

私は それぞれの個人

一人ひとりが

そんな思いを 持つだけで

世界は そのままで 変わっていくのだと

思っています

夢かも知れません

でも 私は その夢を 信じたいのです

錯簡雑記  莫迦話その2

本日は アイロニイともいえる 莫迦話その2を

お届けする

 

たい作でーす そうかがっかりの 収供法人の

紙です 日本銀行券です

色んな 収供のなかで

どの収供も 煮たりよったりで ドロドロなんで

差別化するのに どんだけ金の要る事か

道が 曲がろうが それようが 性事にも手を 染めます

収供は お金を つかんだほうが 勝ちなのです

私自身は 家族とも ただ金で 生きて来れたのですが

収供とは 金でありますから

人生とは 金なんです

金が あったら来世に 送ってやろう それが本能じゃ

という 有名な 戯曲もあります

貼ったりの おふだや 万個の像 裁断 程度では

儲かりません 儲かる事は 何でもやってきました

今行く いく いくの 狂育も 力を 入れました

熱い 男根の思いです

私を 師事する 不審者たちは

私がお尺八に なったといいますが

ここだけの話 お尺八より偉い お莫迦なんです

ホントの話 行きつかない 人間なんですが

私も 生きていく金は もう有り余るほど

手に入れましたから 社会的迷世が大事に

なって来ました 男でも 無くなりましたし

2号から28号まで 生理も終わったことですし

色狂いで 騒がれないうちに

なにせ テイッシュの 使用量は

半端ではありませんでしたから

皆様の 五千円を 握って

何回 スーパーの 行列に 並んだことでしょう

紙ですから たい作でーす

またいつか これ以上 一皮むけたら

不審者の 皆様とお会いしましょう

それでは

 

錯簡雑記   心理分析と    セルフカウンセリング

今日は ウエイト集中力を 少し外して

心理分析と セルフカウンセリングについて

記す

私は 思春期に 鬱になり 自己治療で こじらせ

結果 統合失調症になったのであるが この思春期に鬱を

経験してないものは 長じて 発病の可能性が ある事を

否めないと 私はそう思っている

思春期の鬱は 精神的成長過程には 程度の差さえあるが

必ずと言ってもよいと思うが  通りゆく道に

横たわっている 私はかなり 激しい鬱にまで 陥り

一度は 私の 全ての感情が死んだ 思いを 経験している

全てが 虚無の中にあり 無感動 無気力 無関心となり

生存の 命の炎さえ

呼吸するたびに かき消される 思いがしたものであった

病院にもいかず 働きながらの 自己治療 というより

我慢 辛抱しながら 暮らしていたことを 思い出す

脇道に だいぶそれた

心理分析であるが この病気は

本能に触れる 感情によって 振り回されるのである

自分の感情の 流れを まずつかむことが

大切である それから 逆にたどっていき

その感情に至った 原因を分析 知る事である

幻聴が あるいは幻覚がおこっている場合は

精神が高揚し その時の周囲の状況や

自分が何を聴き 見たかなど

観察することが 困難であろうが

以前にも記した 病気ノートなどをつかって

感情を 辿る手立てや

ある程度 症状が 落ち着いてくると

その時の 心理の分析が 可能となる

心理学などの 勉強や学習などは 全然 必要性がない

もともと 精神病理学の 進展につながったのは

ソビエトの作家 トルストイの著作物

夢判断 からだともいわれている

決して 専門の 医師が 開放の道程を

切り開いたものではない

まずは 自分の心の動きを とらえる事

どうしてそのような 感情になったのか

たとえば かなしくて 泣きたくなったとしよう

その前の状況を 思い出す

一方的に 自分の悪口を 言われたからとする

幻聴か 実の声か あたりに人の陰を 探すことから始め

人の口から 出た言葉であるなら 何と言ったのか

文言を 正確に思い出す それは仕事上の

指示 命令 注意だったのではないか

あの人は 良く聞いて といったとき

みみの横に 指を もっていって

くるくると 廻すような 仕草をした

それで自分が バカにされたと思ったのか

あれは ただ耳の穴を かいただけか

何べんも 同じことを 言うようだけど といったが

前と 違う作業ではないか などと

言葉尻だけとらえて からまわりし

引っかかっていたのではないかとか

少し長くなった 表現が適切ではないが

状況を冷静に思い出し文言にかかわる

周囲の状態や 相手のしぐさなども 考え直しながら

自分がどう思ったか どう感じたか

その感情は 何処から 何がきっかけで 来たものか

感情の元を たぐっていくのである

今日は長くなった割に 表現の不適切さにより

十分な 参考にはならなかったような気がする

セルフカウンセリングについては割愛する

またいずれ手直しして記す

それでは

 

mentalpit95代表者私文  資本主義の行きつく先

金という国益や 軍事を 主体に

陸地や 海 空に 国境 領海 領空

と 線を引きたがる 人間たち

海に国境はなし というフレーズを

昔 聞いたことがあるが

海に堰を 作っている 国もある

どっかの先進国では 中国のように

万里の長城 みたいなものを 作ると

公約して 大統領に なった輩もいる

もし

私の 大空に 世界と

ただ一つ 繋がっている 大空に

太陽 雲 という 絶大なる

金に両替できない 命の 資産のほかに

金の価値で 換算できる

他の 資産があれば

大空にさえ 科学の粋を 集め 領有権を 主張し

国境を 造り出すのが

人間である

人間だけで 地球が成り立つと思う 権力者や

財界人 人間至上主義に立つ 輩がいるのは

新しい世紀も 次の世紀を 迎えぬうちに

終わってしまうのであろう

お金である 正義では ご飯も食べれないし

命の 危険にも 会うのだが

一人で 生きていければ それが一番良い

人の助けを 言い換えれば

あらゆる 差異を 埋め合わす代価こそが

お金 本来のものであるのだが

哲学や 思想 宗教は

売り物ではない

末松一宏

 

 

民間福祉net事業所(mentalpit95) 代表者ご挨拶

弊社 民間福祉net事業所(mentalpit95)の投稿を

閲覧頂き 誠にありがとうございます

当サイト 立ち上げの 時点より

世界の 購読者様たちの 参考になればと

微力ながら 続けております

当サイトへの アクセスの 不具合について

説明いたします

立ち上げ時点より 有害サイトの アクセス妨害が

頻発し 2016年 確か10月から11月にかけては

過去1か月間に 有害サイトからの不良アクセスが

1億1千万を超え ブロックされております

卑怯な手段を用い 発言の自由を 奪おうとする

この手の輩の中には 政治関係者 宗教関係者

など投稿の文章が それら人間の 心の琴線に

ふれたものと考えられます

私は肥大化した mediaを権力と 考えておりますが

ワールドプレスという このサイトは

支持し 信望しております

mentalpit95は 私のライフワークとも

なりつつあります

稚拙な私の文章を とうしての 考え方が

何かあなたの また世界の 役に立つなら

と思う今日この頃です

最後に ご購読 有難うございます

これからも お付き合いのほど

末松一宏

 

錯簡雑記 歌詞  京染め暖簾 ほでてんごう

今日は ほでてんごう氏の 初期の作品

もうすぐ リリースされる 京染め暖簾という唄の

歌詞を 公開お届けします

この唄も 作られて 十年は 有に経つ

 

歌詞 京染め暖簾 詞 ほでてんごう

 

(1)

袂(たもと)に手を添え  御酌(おしゃく)をすれば

格子戸(こうしど)時雨(しぐれ)が  小雪にかわる

あなたはあそびでも  私は命

紅(あか)い炎(ほのお)が  心に燃える

伏見(ふしみ)あがって  鴨川(かもがわ)あたり

しのぶと書かれた  京染(きょうぞ)め暖簾(のれん)

 

(2)

女の季節を  鏡に映し

宵待(よいま)ち化粧(けしょう)に  ため息ひとつ

黒髪(くろかみ)ちらほらと  絹糸(きぬいと)白く

離(はな)したくない  三年(みとせ)の絆(きずな)

伏見上がって  鴨川あたり

夜風に揺(ゆ)れてる  京染め暖簾

 

(3)

待つ身の辛(つら)さは  慣れっこだから

咲かせてみたいの  抱きしめられて

女の返り花  私は桜

冬にほころぶ  薄紅色(うすべにいろ)の

伏見上がって  鴨川あたり

灯(あか)りをたよりの  京染め暖簾

錯簡雑記   ウエイト集中力(2)

過日 東京マラソンが 行われたようである

アスリート達は 度重なる 練習を 重ねるのであろう

病を 背負っている方は しかし ここで考えなければならない

精神薬を 服用している方にとって マラソンは

かなりの 心臓への 負担になる 精神薬は 大まかに

当時 七つぐらいの 副作用があった

私が 服用していた頃であるから 今ではだいぶ

改善されて いるかもしれないが 心臓への負担は

否めないようである 大量な薬を 飲んでいた私は

一時期 医者に申し出 ニトロまで常備していた

マラソンをしたい人はすればよいが 運動量で考えると

重めのウエイトを 付けて散歩した方が 得策だと思える

毎日 決まった散歩をすることは 閉じこもりがちな あなたに

精神の開放 安定をそくすことにもつながり

生活習慣も 少しづつ 改善していく 効果がある

ただ散歩するのではなく 妄想ではなく 思考訓練を行うと

思考精査 され 健全な 精神の安定を生む事になる

景色を眺め よく見る よく見るという事は 一つ集中力の

鍛錬にもなるのである

思考の例であるが 例えば電柱や マンホールの蓋

道路わきにある数字の表示物などの 数字や記号 番号など

無作為とも思われる 普段気づかない このようなものの解明

たとえば 初めの電柱に かいてある番号をよく見て

覚えるのである

二番目に見た 電柱の番号と 比較対照して

まずは 差異を探す 何処がどいう風に違うのか

与えられているのは 電柱の番号と

移動した周辺の状況 これだけで電柱の ふってある番号の

意味合い 何を表す記号か この数字は製造番号か

何を意味するかなど わからねば

もう一つ先に 足を延ばして 行ってみるなどして

自分の持つ 能力 経験 集中してみた状況

たったそれだけの中から 理解に及ぶ ところを 切り取って

思考精査し 結論をみちびくのである

取敢えずは 散歩しながら 周囲をよく観察することから始め

きっかけを探し 自ら答を見出す 辞書も何も使わない

もてる自分のちからで 思考することで

精査され 病的思考の 改善に やがては繋がるのである

観察する事 答を外れていてもかまわないが

自分なりに納得できる 共通項や差異から

一つの結果を求めようとする

あくまで事象を 冷静に 観察する上での 思考精査であって

推測の段階には 過ぎないのであるが

日々を重ね 散歩することで 何かしらの結論を生み

確認したければ事業主に 意味合いを尋ねてみる 楽しみもある

いつもの鳥が 鳴いているなど 他の命の 習性や

こんな花が 咲いていたなど 季節の移ろいが 分かってくる

だけでも あなたの開放の道を 早めるのである

興味を持った 鳥や花の名前など 調べてみる

散歩は 必ず 五感をそばだてたうえで 行うとよい

また 考えよう考えようと する必要もなく

太陽や月 季節の花や 鳥の声などなど

外界に 新鮮な興味を 持つという事が大切である

あなたが 傍にいるなら 指導もできるが

私はそういう立場はとっていない

あくまで net上での 私文であるが

私の 経験が 役に立つなら  それでは

錯簡雑記 開放の道程 (社会生活)

精神病と 診断されるには 大まかに

以下のような 所見があるらしい

 

知覚の障害  思考の障害  感情の障害  意欲と行動の障害

自我の障害  記憶の障害  知能の障害  意識の障害

その他

 

問題なのは  日常の  生活が  本人にとって

問題なく 行うことが出来るかと いうことである

精神症状を 認める状態にあっても

社会生活は 援助や保護なしに 普通にできる

精神病が治る という事も大切かもしれないが

社会生活が 他の援助 保護なしに 送ることが

出来るようになる という事も 開放の長い道のり

それだけでも 良いという事を知るべきである

結果 生きていければ 良いのである

とりあえず出発点は それを目指すのが良い

私の場合は  特異な  例かも  知れない

私の うつ病 統合失調症の 回復の道は

万人に 通用するものか どうかはよく わからない

固定した 反証作業は 体的にも 精神的にもなく

悩みというものから 囚われ引きずられる 事が

無くなり  病的思考そのものから 開放され

考えない術 というか 忘れているというか

勿論 会社の事や 金銭の問題 家庭の問題 普通に

社会での問題等々 いくらでもあるのだが

それぞれに対処しながら 囚われることがないのが

今の私の 現実である

元来 小心な人間であったから 神経は細やかな反面

信じられないほど 図太くもある

人の事は いろいろ目につくけれど

しかし他人に 要らぬ干渉はしない

私からしてみれば 自分が大人になったと いう事でもある

私は子供らしさを 引きづって 社会に出る挾間で

病気になりました 社会が分からない

周りに目が行ってない どっちかというと

自分の 殻の中だけで 生きて来た そうゆう人間でしたから

現在の私は まわりや社会には目を向けますが やはり

本来の自分に  帰属してます

地味で おとなしい 穏やかな性格 時々

ちょい悪親父になりますが

入院してる方は  どれだけ 社会復帰を望むでしょうか

家に帰りたいと 家のある人は望むでしょう

病院に埋没しなければ 生きていけないのなら

仕方ありませんが 退院できる方は だましだましでも

通院しながら 社会生活を送る道だけでも 確立しましょう

それでは

錯簡雑記 歌詞 ミセスシンデレラ ほでてんごう

今日は 6年前ぐらいの作品を 現代風に手を入れ直して

公開お届けします

いきの短いこのような作品を

ほでてんごう氏は自身で 駄作とよんでいますが

 

歌詞  ミセスシンデレラ  ほでてんごう

(1)

指輪ひとつじゃ  私をつなぐ

クサリにも  足りない

素敵(すてき)なナイトよ  チャットでアクセス

私はミセス  シンデレラ

うまく魔法(まほう)を  かけて頂戴(ちょうだい)

カボチャの  馬車で  迎(むか)へて

スマホが  鳴(な)ればとび出す

 

(2)

羽をもがれた  みじめな暮らし

ゴメンもう  たくさん

素敵なナイトよ  ツィートしてよね

私はミセス  シンデレラ

腰をくねらせ  チャチャチャ踊ろう

女が  潤(うる)む  リズムで

いかせて  心酔わせて

 

(3)

世間あざむき  仮面を装(まと)う

ファッション  結婚(マリジ)よ

素敵なナイトよ  ラインで話そう

私はミセス  シンデレラ

白いドレスを  はやく脱がせて

あなたの  お気に  召(め)すまま

ガラスの  靴(くつ)で行くから

 

錯簡雑記 歌詞 身勝手な恋と  ほでてんごう

旧正月も 過ぎ いよいよ 季節は春 私は 幼い頃は

親の庇護の下 悪いことも知らず 素直で ただただ 真面目な

小心な 子供でしたが 人生というものは そのままには

なかなか 育たないもので 女の子の事なんか はたから見れば

眼中にないような 悪いことのできない 思春期を

過ごした反動で 未だに 色欲を 引きずって います

男としては もうどうしょうもないのですが

女の子には ついつい目が行きます

女房がいるのに 不徳な話ですが

 

本日は10年以上も 前の作品になると思いますが

手を加えなおした ほでてんごう氏の 歌詞 身勝手な恋と

を公開お届けします

 

歌詞   身勝手な恋と  ほでてんごう

 

(1)

同じ姓(なまえ)の  暮らしに飼われ

あなたの傍(そば)で  眠るあの妻(ひと)

いつか奪(うば)いとる  あなたをこの胸に

そんな夢を見て  喘ぐ(あえぐ)しとね息

身勝手な恋と  わかっていても

春の花のように  自由に咲くの

 

(2)

チャットばかりじゃ  やりきれないわ

あなたの声を  肌で聴きたい

そうよ心ごと  すべてが欲しいから

悪戯(あそび)なんかでは  ガマンしきれない

身勝手な恋と  わかっていても

夏の焦げる日差し  心がたぎる

 

(3)

熱く燃えても  時間が来れば

振り向くことも  しない冷たさ

いまに追いかけて  全てをぶちまける

そうも思っては  あなた見送るの

身勝手な恋と  わかっていても

秋の季節知らず  消せない炎(ほのお)

 

錯簡雑記  ウエイト集中力

今日からは 私が 精神病に振り回される 事が

段階的に 無くなって行った 第2段階と 思われる

生活での 訓練というか 鍛錬ともいえるような事を

記していきたいと思います

それには 若いころからの 私の 人生における

職歴から 記さなければならないと 思います

乞食の 系図 という ことわざがあります

 

乞食に 身をやつしてまで 自分の 家系が 良い

出だと 仕方のない 自慢話を することをさしますが

私の 話も そうならないようにと思います

病気のために 幾度も 後足で砂をかけるような

結果的な 退社を 繰り返したにも 関わらず

東証 大証と 上場企業を 転々転々と 出来たのも

運が良かっただけの 話であったと 思ってます

 

私は 前文まで 詳しくは 話してはきませんでしたが

私がどういう人間か 肝心な事なので 少しずつ書いていきます

 

18歳で 高校出で 就職するはずでした

工業高校の 電気科卒です

学業優秀 人物保証で

学校から 二人だけの 推薦枠に収まりました

大手電力会社で 父親の 勤める会社ですから なおさらです

難なく就職 出来るにもかかわらず 世間知らずな

子供だった私は この会社の 入社試験で  一次試験に合格し

二次試験の 面接では 自分の勤める職場を 勝手に指定し

その職場以外には 就職しませんと

面接官を 呆気に取らせました 面接官は うちより良い会社は

いくらでもありますからと 後から考えれば

皮肉を言われたのでした

 

学校を出てからの 一番最初の就職 人生にとって

学校という 後ろ盾を 捨てるような 馬鹿な真似は

就職を控えた 新社会人になろうとされる方は

注意することです

現代は 就活における 面接の ロールプレイングなども

学校で 行われて いるみたいですが

企業は新卒ほど 大事にするのです

未知数ですが 未知数だからこそ

企業の 色に 染めやすい

新卒での 就職のつまずきは

人生の出発点で ハンデを 背負うことに つながります

 

その頃は 一次オイルショックの あとで

逆に私学の 大学が次々に 創立され

誰もが 大学という 形に 憧れていた時代でした

不採用通知が 来るのは 当たり前なのに

悶々とした時間を 過ごしていた時 関連企業として

九州の電力工事の 元である会社の 人事部から 二人

わが家を訪ねてきて 是非とも 我が社に

二流 三流の 大学に 行くぐらいならと

再三 頭を下げられましたが 私は わからずに

断わりました

 

人生の失敗は こんな事からが 契機となったのです

私の 学生生活は 冗談を言いに 遊びに行くような

毎日を 過ごしていました

いずれ 社会人になるという 意識さえも 持ち合わせない

幼稚なままの 子供でしたが

精神病では ありませんでした

この頃から 少しづつ 歯車が ズレていったのです

この続きは また次回

錯簡雑記  歌詞  たかこよ  ほでてんごう

今から 16年前 ほでてんごう氏が 30代の頃 勉強していた

中小企業診断士の 業務の為に 事務所を 建てて

経営コンサルタントの 真似事をしてた頃

事務所の 工事の 立ち合いに 大分県の 耶馬渓道路を

小倉に向かう 道行きで ゆるい右カーブを センターを越え

目の前に飛び込んで来た 乗用車に 正面衝突を

されたときの話を 歌詞にした 昔の作品を

公開お届けします

考えるところがあって 拙文を 控えていましたが

ワールドプレスの 同じブロガーの 作品を読んで

また新たに 書いてみようと 思い立ちました

 

歌詞  たかこよ  詞 ほでてんごう

 

あしたは  母の日

親に捨てられ

育ててくれた

ばあちゃん  会いに帰るけん

運の  わるさに

ハンドルとられ

起こした  始末は

人身  事故で

 

 

責められ  文句を

言われようとも

親などいない

暮らしが  よその母思い

運の悪さに

ばあちゃんごめん

つぐなう  役目を

押しつけ  ました

 

 

たかこよ  たかこよ

もとを言うなら

背負わせた苦労

ばあちゃん  ほっておけんから

運の  わるさに

親子の絆(きずな)

ほどかな  生きれぬ

人世の  隅で

 

アルバイトで  生活していた  彼女は

レンタカーを借りて  福岡から 里帰りする途中でした

情がうつり  警察から処分はと聞かれて

アルバイトの身で 免許まで 取り上げられたら

生きて行けまいと

彼は  問わないと  応えたそうです

自身は 医療ミスで 横隔膜が破れたまま そこから大腸が

せり出しています

錯簡雑記 歌詞 しあわせ  ほでてんごう

本日は 交通事故によって 奪われた命や 暮らしを

モチーフにした 歌詞 しあわせ を公開お届けします

 

(1)

この街の  景色に

とけこめぬまま

あなたが  去って

二度目の  春を迎(むか)へ

薄紅のサクラ

ほのかなしあわせを

追って縋(すが)ってみたいけど

 

(2)

赤色(せきしょく)の  ランプと

サイレンの中

つめたい  躰(からだ)

信じる  こともできず

涙さえ忘れ

ほのかな望(のぞ)みでも

追って縋ってみたけれど

 

(3)

この街の  景色に

とけこめぬまま

心の  かげり

はずんだ  明日(あす)がみえぬ

温(ぬく)もりをさがし

ほのかなしあわせを

追って縋ってみたいけど

錯簡雑記 歌詞 夕顔(ゆうがお) ほでてんごう

私は 毎朝5時 雨の降らない限りは

三男の 由有(ゆう)と 散歩します

ごく最近まで 白く咲き誇る

夕顔を 通りの 民家の垣根に 見ていたような記憶を

ほでてんごう氏に 話したところ  夕顔の歌詞を

送ってきてくれました

 

ほでてんごう氏の 歌詞 夕顔を 公開お届けします

歌詞 夕顔  詞 ほでてんごう

 

(1)

厚(あつ)い化粧(けしょう)を  手ばやに拭(ぬぐ)い

薄(うす)い毛布(もうふ)を  顔までかぶる

朝日に  背を向け

はきすてる  日々を

夜は夕顔  お金に咲くの

 

(2)

脛(すね)に傷跡(きずあと)  わたしとあなた

水に流して  明日(あした)をうつす

心が  いらつく

じれったさ  何故(なぜ)に

愛のめくばせ  気づいてはやく

 

(3)

あなた今日こそ  誘ってきっと

恋心(思い)はかない  みくだり女

やさしい  言葉に

縋(すが)っても  みたい

白い夕顔  朝まで咲くの

 

錯簡雑記  死ぬまで精神薬を飲むか

服薬を続けながら また 病院に通院していながら 精神病が

治ったという 方がおられますが 治ってしまえば

薬も 病院も 医者も 必要性がないのです

勘違いしないように

以前 精神病を治す特効薬は 自ら 自らに与える

ストレスだと書きました

解かりやすく説明しましたが  自分で自分に与える

動機付け 目標の設定による

集中力が 病開放の 一番の近道なのです

その中で 作業に集中することにより 病に向かっている思考を

一時的に 作業の間 忘れること

また集中力の 切り替えが出来るようになれば

ストレスを コントロールできるようになり

医者 病院 薬とは縁のない 病から スッキリ 開放されると

そのような事を 書き記したつもりですが

いくらか理解することが出来たでしょうか

第一段階は 単純作業を 仕事に選ぶことが 出来れば幸いです

いかにたゆまず 作業に 切れ目なく

集中していくかという事を 常に考えるのです

作業のスピード化 効率化を 頭に描き

より早く より早く より確実にと

病の 強迫観念を 利用し 使いながら

完成度の高い 製品なり 作業をすることで

会社での 地位も向上させ

他人や 会社での 信用も生み それが自信となり

少しづつ 開放のステップを 早める事にもなります

自分でさえ 自分を 信頼できる状態に なかった本人が

たった一つ 作業に仕事に 集中することで 人から信頼され

お給料も 貰える 病も開放の道に

どんどん 向かっていくのですから

病院に 行っても 別に何ら 変わらない

医者に かわりませんというだけ 薬をもらって 帰るだけ

そんな状況にあれば 死ぬまで薬を頼るのか

死ぬまで病院に通って ずっと 精神病で いたいのか

そろそろ 身の振り方を 考えてみては いかがでしょうか

精神病は 不治の病では ありません

医者は 薬合わせをするだけ

治し方は 方法論は 知りません

それでは

御角(みすみ)まりあ  デビュー曲 港酒唄(みなとさかうた)

御角まりあの もう一つの 楽曲 港酒唄の 歌詞を

公開お届けします

 

歌詞  港酒唄   詞 ほでてんごう

 

和布刈神事(めかりしんじ)の  門司港(もじこう)に

灯(あか)りともして  はや三年(みとせ)

ながす苦労の  涙粒(なみだつぶ)

ああ  涙粒

たくさん嘗(な)めて  生きたから

この身捨(す)てても  情(なさ)けは深い

心づくしの  熱燗つける

 

曲がりくねった  世の中を

心まっすぐ  生きてきた

男まさりの  勇み肌

ああ  勇み肌

荒波くぐり  ひたすらに

世間(せけん)吹く風  袂(たもと)で温(ぬく)め

どうぞゆっくり  笑顔で御酌(おしゃく)

 

裾(すそ)の綻(ほころ)び  気づかずに

客に言われて  おとす肩

おんな忘れた  あの日から

ああ  あの日から

繕(つくろ)う針を  たてる夜

あんた今でも  慕(した)っています

港酒唄  春待つカモメ

港酒唄  春待つカモメ

春待つカモメ

 

翻訳によるタイトルは 確か表現を 変えているが

御角(みすみ)まりあ  で 検索ください

 

 

 

御角(みすみ)まりあ    デビュー曲  別れに赤いワインは

本日は 邂逅舎ミュージックパブの 唄い手

御角(みすみ)まりあの デビューアルバムの

歌詞を 公開お届けします

アルバム   別れに赤いワインは 港酒唄から

レーベル   邂逅舎(かいこうしゃ)ミュージックパブ

 

 

歌詞  別れに赤いワインは    唄 御角(みすみ)まりあ

詞 ほでてんごう   曲 凉野ヒロ

 

 

別れに赤いワインは

また逢う  約束の意味よ

バカね素直に信じて

嘘(うそ)も仕事よまた騙(だま)されるわよ

後ろから抱きしめないで

背中で  泣くのは  男だけじゃない

 

お店の客の一人よ

恋愛(こいあい)  男みなおなじ

バカね一途にのぼせて

どうせ遊びよまだ目が覚めてない

後ろから抱きしめないで

滲(にじ)んだ  涙を  そっと拭(ぬぐ)えない

 

別れに赤いワインを

せめての  償(つぐな)いにかえて

純(じゅん)な心を遊んだ

悪い女もいたこと覚えてよ

後ろから抱きしめないで

背中の  涙が  心濡(ぬ)らすから

 

 

世界400サイトに配信されてます

今までは CD販売もかんがみ 試聴のみでしたが

全楽曲を 公開するようにいたしております

聴いてみたい方は 宜しくどうぞ

 

 

錯簡雑記 歌詞  今さら    ほでてんごう

2016年も 残すところ 今日を入れて あと2日

良い歌だと思うのだが   大した飛躍もなく 日本では

広告宣伝費に お金をかけないと

メディアも 取り上げてもらえず 知名度の低い

我が 弱小レーベル 邂逅舎ミュージックパブは

来年こそはと 思っているが

 

 

今日は ほでてんごう氏の 5年前の作品

冬の唄   今さらを   公開お届けする

 

歌詞 今さら  詞 ほでてんごう

(1)

時代にゃあわない  ボロ舟蹴(け)って

あばよ玄海灘(げんかい)  遠き海

魚屋行商(さかなぎょうしょう)  おまえはいつも

姉さん  かぶりの  かすれ声

許せ別れも  告げないままに

 

(2)

寝返り打っても  眠れぬ夜は

風の唸(うな)りが   身を責める

漁の帰りを  待ってる夜明

かがり火  かざす手  指輪さえ

やれぬおまえに  酒代せがむ

 

(3)

あか切れ霜焼(しもや)け  さすってこらえ

雪の玄界灘 あおぐ月

ひとり漁網(あみ)さす  おまえを詰(なじ)り

酔いどれ  泣かせた  ろくでなし

今も一人か  会いたいおまえ

 

わたしの歌詞は 世界では どの様に なっているのかは

知らないが  お金のかかる  日本の メデイアよりも

世界400サイトで 配信しているので 聴いてみたい方は

宜しくどうぞ

それでは

12月20日  御角まりあ   クリスマス歌謡ショウ

歌唱曲の中の1曲

以前も掲載しましたが再度公開お届けします

十年先のクリスマス 詞 ほでてんごう

 

(1)

銀婚祝いに  あなたと空港へ

冬の札幌  光の大通り

讃美歌(さんびか)の  礼拝堂(れいはいどう)

巡り合った  その街で

素敵な  お嬢(じょう)さんと

声をかけられ  ときめいた

聖誕祭(クリスマス)の  あの日

白い雪の  温(ぬく)もり

 

(2)

もうすぐ予定日  娘が初孫(ういまご)を

命すべては  許され生まれ来る

讃美歌の  礼拝堂

祈りましょう  わが天使

希望の  橋を渡り

無垢(むく)な輝き  煌(きら)めかせ

聖誕祭(クリスマス)の  この日

赤い糸で  孫(まご)とも

 

十年先も  肩ならべ

祝福を  神の御許(みもと)で

例(たと)え  命が届かずに

縁(えにし)の糸が  結べなくても

永久(とわ)に  愛のかたちを

今年も  あなたと

(メリークリスマス)

12月20日  御角まりあ   クリスマス歌謡ショウ

歌唱曲の中の 1曲 小倉駅(デュエットソング)を

公開お届けする

 

小倉駅   詞 ほでてんごう

(1)

(男) コップ酒に  呑(の)まれるままに

はぐれた世間(せけん)に  牙(きば)を剥(む)く

女房(おまえ)が拗(す)ねて  甘えることも

忘れてしまう  だめな男(やつ)

荷物を  降ろせよ

ここが別れの  小倉駅

 

(2)

(女) すさぶ心  紛(まぎ)らすお酒

呑まずにいられぬ  よわい男(ひと)

私がいなきゃ  生きてはいけぬ

片道切符  ふたり分

あの世の  果(は)てまで

ここがわたしの  小倉駅

 

(3)

(男)くされ縁(えん)を  連れ添うおまえ

(女)縋(すが)って泣けない  大きな子

(男)世間の風に  煽(あお)られながら

(女)日陰に咲いた  夫婦菊(めおとぎく)

男女)寄り添う  幸せ

ここが終着  小倉駅

 

12月20日  御角まりあ   クリスマス歌謡ショウ 

歌唱曲の中の一曲 紅椿を

公開お届けする

 

紅椿(べにつばき) 詞 ほでてんごう

 

(1)

三河額田(みかわぬかだ)の  本光寺(ほんこうじ)

思いあぐねて  女が一人

夫婦契(めおとちぎ)りを  言葉にすれば

花の形で  散るのが習(なら)い

どうか叶(かな)えてと  七分(しちぶ)に咲いた

悲恋(ひれん)抱きしめ  紅椿

 

(2)

京都川端(きょうとかわばた)  地蔵院(じぞういん)

あなた待ってと  あと追い縋(すが)る

ネオン暮らしの  女(わたし)がつらい

三年恋路(みとせこいじ)の  ゆく春惜(お)しむ

ならぬ我がままを  押しつけました

心切ない  散(ち)り椿(つばき)

 

(3)

二人旅行く  大島へ

群れる海鳥(うみどり)  うつろう心

今日(きょう)でほんとに  おわかれなのね

思い募(つの)って  愛しさ紡(つむ)ぐ

あなたこのままで  いたいの私

別れ哀(かな)しい  紅椿

 

12月20日  御角まりあ   クリスマス歌謡ショウ開催

12月20日北九州市 チャチャタウン小倉に 於いて

歌唱する 御角まりあの 歌詞を 公開お届けする

本日より 一作品ずつ ほでてんごう氏の オリジナルの

歌詞の公開である

 

恋の闇路  詞 ほでてんごう

(1)

鹿児島出水(いずみ)は  さむかあ季節

ことしの真名鶴(まなづる)  春には発(た)つの

渡り鳥なら  帰れもするが

戻るにもどれぬ  恋の闇路よ

逃げて来れたら  あなたと二人

縋(すが)りついても  結べぬ縁(えにし)

 

(2)

ひよわな躰(からだ)で  連れ添う方の

病に私の  あなたをとられ

愛のかけらに  叶わぬ運命(さだめ)

夫婦(めおと)の絆(きずな)に  負けた恋路よ

あなた今ごろ  どうしてますか

はるか街にて  案じています

 

(3)

ここでも時雨(しぐれ)が  小雪にかわり

ひとりの背中に  ただ降りしきる

誰もコートを  掛けてはくれぬ

せつない面影  恋の闇路よ

遠くあなたは  幸せですか

春の日和(ひより)が  恋しいわたし

 

pm:2:00  4:00 の二部公演です

お近くの方 興味のある方

チャチャタウンで会いましょう

オリジナル4曲プライベート盤

クリスマス特価で 限定販売しております

錯簡雑記 本能に触れる病

私が思うに 精神病とは

命としての本能

生き物的(いきものてき)本能

社会的本能

その 狭間を さまよっている 病

本能に触れる 病気 ではないのかと思う

人間は 誕生と共に その社会の時代 環境

その社会の作られた 風土 歴史において

様々な決まり事を背負って 育ち 生きて来た

常識については 以前記したが その漠然とした

常識という 区切られた 環境の中で

あるきっかけで 自分自身をさいなめ

発病するのではないかと

話が抽象的なので 好き嫌いという 感情に

置き換えて 考えてみたい

好き嫌いは 個人の感情で 生き物的本能 のように見えるが

これは 社会的本能 である 生き物的本能ならば

敵か味方か 害をもたらすか 友好的かという事になる

命としての本能なら 命の糧になるか

糧にされるかという事なのだろう

社会的本能において 好き嫌いと いう感情は 昇華されると

好みか 好みでないか と人格が伴ってくる

好き嫌いという 感情でも

それぞれの本能によって 違ってくる

何かわけのわからない 話になりつつある

 

私は 孤独が原因で 自分自身の 本来的なものや

必要以上の 懐疑的な性格により

囚われて 深みにはまり 身動きが取れなくなり

自分自身を 守るため 躰や健康に 症状が出たり

耐えられなくなり 錯乱したのである

抱きしめる事の出来る 対象が いなかった

頼りない思春期の 孤独が引き金だった

考え出すと 止まらなくなり 何時間でも延々と

考え込むのであった 考える事をやめられず 苦しい思いをした

本能に触れ 感情による思考に 振り回される病と思う

理性的な 思考では 決してない

直観的で 理論的ではない面

分析能力は 当を得たところがあった

 

本能として 自分自身を 守るために

頭の中で 攻撃したり 守ったり

同じところを 堂々巡りしながら

感情が疲れ果てて収まるまで 思考する

出ない結論を 何とか 終結させようと

自分で 自分を追い詰める

又は他者に 押し付ける 事でしか

解決の 糸口を探せない 病

性格による 考え方も手助けする

 

自分自身を 素直に 肯定できるようになる

それが 一番 大切な 事なのであろう

 

 

社会的本能から 生き物的本能 そして命の本能と

ダウンしていく ものの考え方も 大事かもしれない

原始人の時代も 精神病はあったのだろうか

それでは

 

錯簡雑記 詩 ほでてんごう

本日は 歌詞ではなく 読む方の詩を お届けする

詩       ほでてんごう

 

パンを  ねだって

さえずる  事が

罪で  あるなら

しあわせの  小鳥は

羽ばたく  空がない

 

奪う  ひきがね

指先  だけで

二度と  戻らぬ

しあわせの  朝日に

祈りを  ささげても

 

愛を  知らない

ひとびと  達は

いつも  目先の

しあわせに  だまされ

思いに  囚われる

 

錯簡雑記  歌詞 北の親父の 漁暦 ほでてんごう

ほでてんごう氏の 祖父は漁師を職業とし

その稼ぎで 彼は ほでてんごう氏の 父や叔母を

育てたそうである

祖父は 年老いて 耄碌し それでも

漁を忘れず 海を

朽ちてはてた 舟を

見に行かねばと 言ってたそうである

天気の良い日は 玄関先で 日光浴を

するのが日課で

きっと彼の 心の中では 青い海で

小舟を浮かべて 漁をして いたのだろう

耄碌しても 心の中に 大切なものが

ちゃんと残っている 祖父みたいな

素敵な人生を 送りたいとは

ほでてんごう氏の 言葉である

今日は 彼の 祖父に宛てた

歌詞を 公開お届けする

 

歌詞 北の親父の漁暦(りょうごよみ) 詞 ほでてんごう

 

(1)

潮風(しお)の匂いが  染みついた

太い弐(に)の腕  たぐる漁網(あみ)

漁火(いさりび)  夏の  真イカ漁(まいかりょう)

アゴじゃ通らぬ  体で吠える

冬は荒波  オホーツク

北の親父の  漁暦(りょうごよみ)

 

(2)

ひとつ昔が  十年の

潮流(しお)をよんでは  かた手ゆび

流氷(りゅうひょう)  春の  海明けは

ホッケ甘エビ  時鮭(ときさけ)ズワイ

秋はサンマで  明け暮れた

北の親父の  漁暦

 

(3)

陸(おか)の暮らしに  目も向けず

頑固一徹(がんこいってつ)  ひとつ道

節(ふし)くれ  だった  その指で

野良(のら)の猫なで  まどろむ今は

夢に荒波  オホーツク

北の親父の  漁暦

 

錯簡雑記 私文 祈りの言葉  末松一宏

今日は 私の 祈りの 言葉を 公開する

私には 38歳の子供を 頭に 三人の

男の子を 授かって 育ててきた

それぞれの 名前は 通り過ぎた私の 人生の答えを

生まれる前から たった一つ 別に 医者に 性別の

確認をするでもなく 男子の名前を付けた

そのとうりに 男の子たちは 誕生を迎えた

偶然の必然こそは 奇跡 と言えるのであろう

私の祈りの言葉 それは 3番目の 私の人生の答え

命すべては 有って由(よし)として授けられた

という 私の思い

兄ちゃん二人は 出産の当日 まだか もうすぐかと

妻のそばに つっききりであった

そのころ 私は 障害を持った子でも 私の子供に間違いない

と思ってはいたが 結局 五体満足な姿を 望んだ

3番目の子は 仕事の都合で 生まれて

10日目に初めて その子の顔を見た 3番目の

私の 人生の答えは その左側の 耳たぶに

奇形の 痕跡を残して 生まれてきた

この時は 障害を持った子でも 必ず私が育ててやる

と必ずしも 五体満足を 少しも 意識しては いなかった

気にするほどの 奇形ではないが 私は 自分の人生の答えを

確認した

命  最後の答え

 

祈りの言葉は 命すべては有って由(よし)とする

30年ぐらい前に行きついた その答え

 

祈りの言葉は  由有(ゆう)

 

3番目の子供の名前である

申し訳ない ほんとに 私文である

それでは

 

 

錯簡雑記  歌詞 アスリート

日本では 寒波が 訪れ 寒さが厳しく なりました

時がたつのは 早いもので 気が付いて

駆けぬけた30年という 私の人生の半分は

振り返れば 一瞬

昨日のことのように 思い出します

最近は 統合失調症に関する

記事から 離れてますが 今になって思えば

一体 私は 何の病気に 囚われて 悩まされて

いたのだろうと いう感覚なので

病と だいぶ かけ離れてきてることを お詫びします

いずれまた ぼちぼち 思い出せば 記述したいと思います

今日は ほでてんごう氏の 違った作品を

公開お届けします 著作権の 問題がありますが

歌詞ですから バージョン違いで

作曲し 公表していただくのは かまいません

生じる売り上げの 何パーセントは

恵まれない世界の 人たちの 救済に

充ててほしいと 願います

冬の唄では ありませんが

 

歌詞  アスリート    詞 ほでてんごう

 

(1)

突っ走れ  碧(あお)い風と

駆けぬけろ  澄(す)んだ水面(みなも)を

四角の山を  つき抜け

まみれた  生活(くらし)  さらば

マウンテン  バイクで

めざせ野生の  アスリート

 

(2)

取り戻せ  無垢(むく)な命

はずむ息  愛の鼓動(こどう)よ

売るのはやめろ  時間を

巻かれた  鎖(くさり)  ほどき

汚(よご)された  心を

洗え裸の  アスリート

 

(3)

真っ直ぐに  越えろ時代

打ち破れ  阻(はばむ)むシグナル

くじける思い  拭(ぬぐ)って

涙と  汗の  血潮(ちしお)

生きる意味 さがして

つかめ命の  アスリート

 

 

 

錯簡雑記  歌詞  冬の蝶   ほでてんごう

日本でも めっきり寒くなりました

熱いときは 涼しさが恋しく

寒くなると 温もりが欲しくなる

私は 季節の変化を 横目で眺め

オールシーズン

白の サーファーシャツ

ツータックの 紳士ズボンに

サンダル履き という

変な 格好で 一年を 過ごしていました

いまだに 靴下を 履くことは ありません

オールシーズン 奇妙な 格好で 過ごすものですから

風邪を ひくどころか これといった病気を

二十何年と した事が ありませんでしたが

寄る年波には勝てず

最近は 夏の暑さに 涼み

冬の寒さに 暖をとることが 当たり前となりました

辛いときは 辛い きついときは きつい

嬉しいときは 嬉しい

そんな当たり前のことが 出来る歳になりました

それでよかったのだと 振り返って 思います

本日は ほでてんごう氏の 歌詞 冬の蝶を

公開お届けします

 

歌詞  冬の蝶  詞 ほでてんごう

 

(1)

薄い  毛布に

命くるんで  ビルの片隅

親の顔さえ  しらぬまま

やさしさの  裏側を

いつも  秤(はかり)に  かけて

世間の陰を  生きながら

情(なさ)け花  たどって縋(すが)る

わたしは  冬の蝶

 

(2)

黄色  むらさき

青にオレンジ  ネオン咲く街

どうか神様  ひとつだけ

願い事  聞き入れて

めぐり  逢えます  ように

私と同じ  運命人(さだめびと)

情け花  探して集(つど)う

わたしは  冬の蝶

 

やさしさの  裏側を

いつも  秤に  かけて

世間の陰を  生きながら

情け花  たどって縋る

わたしは  冬の蝶

 

錯簡雑記 歌詞  異国の月 ほでてんごう

11月14日 日本では

陰暦の 10月15日 十五夜の 満月

月と 地球の 関係で 満月が 一番大きく見える

世界的にも スーパームーンと 言われる日

月にちなんだ ほでてんごう氏の

一番新しい歌詞を ここに公開お届けします

 

歌詞  異国の月  詞 ほでてんごう

 

(1)

淀(よど)んだ心を  さとす満月

闇夜をやさしく 十五夜(じゅうごや)の標(しるべ)

恋のわずらい  満ちては欠ける

Yes        No                 Yes         No

ああ  その眼差(まなざ)しに  とらわれ

欲しいあなたが  異国のあなたが

 

(2)

まっすぐ身を射(い)る  朝の日差しも

夕日が沈めば  ほどけゆく心

愛の苦しみ  まとってビジャブ

Yes         No               Yes        No

ああ  その眼差しに  とらわれ

きつく抱かれて  わすれる世界を

 

(3)

ささげる祈りも  届くことなく

闇夜(やみよ)にさがした  思い出のかたち

別れ悲恋(ひれん)の  うちあけ話

Yes         No                 Yes       No

ああ  その眼差しに  とらわれ

欲しいあなたが  もいちど真実

錯簡雑記  歌詞  恩   ほでてんごう

これも 何年か前の作品だそうです

ほでてんごう氏の 夜業の 机の上には

いつもどこかしら 小虫などが 飛んできて

机の上で 大往生 するそうです

ほでてんごう氏は その命を 見送りながら

命の切なさに 二度と 命を 授かるなよ

と言って 言葉をかけるそうです

この唄は 商品には ならないけど

ぜひ 公表してくれとの 依頼に

ここに 公開お届けします

 

歌詞  恩  詞 ほでてんごう

 

(1)

爪楊枝(つまようじ)につけた  末期(まつご)の水を

のんで旅立つ  小虫の命

金(かね)が重たい  こんな世で

どこに惚れたか  この俺の

弁天(べんてん)様か  弥勒菩薩(みろくぼさつ)か

いつかはこんな  辻裏(つじうら)ながしでも

 

(2)

楽しければいいと  かまわぬ暮らし

生きていければ  唄さえうたへ

苦労売り買い  できるなら

たんと儲かる  おまえなら

弁天様か  弥勒菩薩か

くされた縁を  大事に添いながら

 

(3)

恩返しはせめて  おまえの骨を

拾うことだと  口癖となえ

坊主つづきに  荒(すさ)ぶ酒

あんた約束  果たしてよ

弁天様か  弥勒菩薩か

小指をからめ  躰(からだ)を思いやる

 

 

 

 

錯簡雑記  権力に巣喰う屑 

消費税が 安部のバカの 失策により 見送られた挙句

アメリカの トランプが脱退表明した 関税やその他に関する

世界の協定のいくえは

輸入品は 尚更 安く買えるのか

生鮮 加工 飲食業界は 物の値段が 上がるのか

最初から ビジョンのない 行き当たり

成行き 政策のように 思えるが

政治の改革が 行政改革なぞとほざく

それならそれで

前提条件が なし崩しにされている 現代の公務員の

定義付けを 元に戻して 貰いたい

基本的人権で 組合が作れるなら

業務の 民営化が 行われてからに してもらえぬか

公務員の 整理を するという事が 歳出にどれだけの

影響を与えるか 意味が分かってない

それから 国民に 痛みを伴う事を 考えてもらいたい

世界一の 産油国 サウジアラビアとの 関係が

良好に 構築された 世界経済は

OPECの 石油の 減産発表だけでも 変動する

ガソリン税は 50%を占める たばこ税は 60%

消費税をあげられない 安部の 失策

その上の 世界の動向の変化によって 日銀の 干渉など

一般の 庶民には 何の 意味をも なしえていない

国民の 最も 基本的な 生活に関わる

商品の値上げに つながっていく

造りすぎるから 出回りすぎるから お金が回らないし

庶民には 廻すお金がない 大量生産の 行きつく 先である

まわりくどい 金融政策より 減産補償金の支給の方が

ダイレクトに デフレ対策に なるのではないか

老齢者がさぞかし タンス預金ばかり しているのであろう

年寄りの 貧困が 唄われているのにも かかわらず

一億 総活性化 みたいなことを言う

それが ほんとに 正しいか

頑張って 働いて来た 老齢者に 雇用数の

増加による 消費の拡大を 押しつける

無知無能 情動のない 非人間的な

計数管理的な 発案の 政策

公務員をすべて 後生大事に 抱えて

そんな事の 誤りを どうにかしろ

いつまで 役人が 必要か

政治家は 票を 失う 改革が出来ない

痛みは 政治家 本人ではなく

さらに 弱い物に 押し付ける

自分や 取り巻きの ために

権力の座に 巣喰うている くず達

消えてしまえ おまえたち

SPこそ いい面の皮

よくそんな 屑みたいな連中を 要人として

命をかけて どの国民の 誰のために守る

国民に よく身を切る事を 押し付けて

日本の政治も 世界の笑い物という 恥を知れ

浮動票よ 棄権票でも なんでも

大きな バッテンを入れて 投票用紙にかけ

バッテンを 入れた 棄権票が

ごまんとあれば どこかでニュースの 種となる

心ある 政治家が 現れるかも 知れない

押し付けられた 権利で物を言え

利権や 団体だけの

都合の良い 世の中が たくさんだと 思うなら

錯簡雑記歌詞 なけない小鳥   ほでてんごう

今朝出来立て ほやほやの

ほでてんごう氏の 作品を 公表 紹介する

 

歌詞  なけない小鳥    詞 ほでてんごう

 

(1)

うるんだ涙が  こぼれぬように

笑顔で見送る  あなたの後ろ背を

ひとは孤独を  心に宿す

いつかは一人で  旅立つ日が来る

 

(2)

わらってわらって  騒いだあの日

夢見て灯した  希望の灯り手に

ひとは心に  悪魔と神を

宿して一人で  さまよう道行き

 

(3)

なけない小鳥よ  大空めざし

羽ばたけ雲こえ  届けよ太陽に

めぐりあうまで  愛する人と

出会ったその時  溢れる涙を

錯簡雑記 歌詞 秋蝉(のこりぜみ)ほでてんごう

11月7日は 立冬である

さながら 今の季節は 晩秋と よぶのであろう

秋の唄を 公開お届けする この作品も

作られて かなり経つ ほでてんごう氏の 秋蝉

 

歌詞 秋蝉(のこりぜみ)ほでてんごう

 

(1)

秋蝉(のこりぜみ) さみしげに 偲(しの)び鳴く

愛の未練か  宵(よい)の月

数える  ほどない  恋の傷跡(きずあと)

しるした日記を  そっと閉じます

式取りが  そこはかと  整(ととの)って

母と別れる  さみしさに

遠くで  お囃子(はやし) 時代まつりの

このままあなたと  いたい母娘(おやこ)で

 

(2)

庭先(にわさき)の  木洩(こも)れ日に  きらめいた

ゆるい蛇口(じゃぐち)を  締めなおす

あなたは  かわらず  ここでこの先

暮らしていくのね  たった一人で

おめでとう  末永く  仲良くね

こんなまじかに  母の顔

すぼめた  口もと  深いシワ見て

言葉にならない  涙あふれる

 

秋蝉  今はもう  鳴きもせず

めぐる季節に  遠き里(さと)

寒さが  つらかろ  冬の夜半(よわ)には

コタツでうたた寝  せずに元気で

錯簡雑記 字の起源

本日は なんとなく 私が 考える

字の 起源について記す

よく差別用語とか 表現の方法を 問い沙汰したり

諮問する機関や 何かと 文句を

言いたがる 輩は 何をそんなに 目くじらを

立てるのかと 思う

字というものは 元々 識別のために 起こったものであり

差別化するための 必要性に おいて

生まれた もので 字の起源は

初めは 食べ物や 数字であったと 私は思っている

日本には 和語(倭語)というものが存在していた

中国の 魏 呉 蜀 の時代

漢字が 日本に 伝えられたとされている

日本の 七 という漢数字 中国のものであるが

元字は どのようなものかは 知らない

これは人の死を 意味する 亡くす というものである

あくまで 私の 考えであることの 表記

大地に人を 葬り 墓標を建てたもの 外国では

ラッキー7 というふうに 用いられる

何かの 順番だったのであろうか

八は 日本では 末広がりで 縁起が良い吉数と されている

がしかし これは 人が 首をつって 死んだ姿を

現したものであると 私は考える

注釈は 付けないが 日本で用いられた

漢字の 歴史的順番や 和語との 関係なども

考え合わせると 面白いのではなかろうか

四という漢数字 これは御存知のように

目を意味する 日本では 陰数として 嫌われている

四ツ目とする 表記もある

そのもとは インドかも知れない

確か インドでは 世界を

カメが 支えていると 考えられて いたのではなかったか

カメの 首の模様 これが サンスクリット語の 元である

とは 私の 知人の 見解である

日本に伝えられた 漢字は 中国で 歪められたのか

日本で 曲がったのか

文字も 元は どこかで繋がって その国の

事情で 改竄されていったのであろう

首という言葉を 皆さんなりに

考えてみるのも 面白いと思う

大地に生えた草 その下の 自という字

元字は知らないが

それでは今日は

 

 

錯簡雑記  今見えている  問題点

新しい考え方 共有

考えなければならないのは

使用 と 利用 の 認識である

 

共存共栄は 有り得ない

資本主義の 亡霊を 引きずった

考え方に過ぎない

 

私が子供のころ 東京オリンピックが

開催された

為替レートは よくわかってなかったので

興味はなかった 経済とは 無縁な

私が言うのもおかしいが

長じて 韓国に 旅行したことがある

もちろん成人して 十何年か 経った後の事

当時 1ドル三百六十円 それはひょっとしたら

もう少し 子供の頃だったかもしれない

日本の 経済が 一挙に勃興し オイルショックで

バブル経済と 騒がれた頃 それから後の事か

18歳の頃 ガソリン 1リッター 60円位だったか

卵や 野菜 リンゴ なし 柿などは

もっと子供の頃 1個うりで

卵などは 今のように 一パックいくらで

しかも 低廉な値段では なかったような 気もする

まだ 量り売りが あった 計量用の 天秤棒も存在していた

そのころは わが家でも 鶏を 飼っていたので

親は どうしていたのかわからない

五円だったアンパンが

印刷値が マジックで消されて 八円になった

 

順絡のない とりとめのない話を 元に戻すが

 

円安で 景気が良かったのであるが 世界経済の潮流が

どうだったのか 現代と同じと 考えているのが

教科書しか知らない 政治家の 考えることである

ひょっとしたら 政治家というのは

経済アナアキストなのだろうと 私は思っている

有名な資本主義の 理論を

取りまとめた 学者の

資本主義に 関する見識を もっと

教科書好きの 政治家は勉強すべきだろう

アダムスミス ケインズ の見解の

その先の 展望を 予期している

 

私は私なりに 世界が 経済的勃興を

成し遂げれば 成し遂げるほど

世界が 平和を 望めば 望むほど

経済は 平益化し 差異が 無くなり

資本主義の 考え方は当然 壊れていくと 思っていた

一人 自然の報復と 社会の崩壊と どちらが先か

などと 思っては 淋しい夢を 見ていた

世界的な 自然災害が 起こったら

一体 世界は どうするつもりなのかと

 

世界の どこかで 誰かたちの

新しい考え方 共有という 考え方に

救いを 拝んでいる

それでは

 

錯簡雑記  歌詞   素敵な  ほでてんごう

中近東の 争いが 少しでも 和(やわ)らげば

ほでてんごう氏の 今日の 作品です

 

 

歌詞  素敵な   ほでてんごう

(1)

あなたがあまり  せがうから

私は愛を  失(な)くしたの

しなやかな  風になびく

魂(たましい)やどる  黒い髪(かみ)

元気という  新しい恋

さがして  ここは  もう横須賀(よこすか)

 

(2)

もうすぐ冬が  日本そめ

私はビジャブ  白くする

しなやかな  風になびく

魂やどる  黒い髪

元気という  新しい恋

みつけて  ここは  海アラブの

 

もうすぐ冬が  日本そめ

私はビジャブ  白くする

しなやかな  風になびく

魂やどる  黒い髪

 

錯簡雑記 あなたが生まれる日   ほでてんごう

今から 三十年位前の事を 思い出して 作品にして 8年位に

なるという ほでてんごう氏の 歌詞を 公開 お届けする

親御さんは 誰も 障害のある子の 誕生を望まない

その為 彼は 保留していた 作品である

 

歌詞 あなたが生まれる日  ほでてんごう

 

(1)わたしの中で  育(はぐく)む命

許されて授(さず)かる  一つの答え

生まれておいで  愛(いと)し子よ

たとえ光に  恵まれなくても

大地を踏みしめる  力かなわずとも

わたしが目となり  足となる

 

(2)

わたしの中で  生きてる命

いっぱいの元気で  生まれておいで

あなたは男  女の子

乳房(ちぶさ)吸いつく  その日を待ってる

父さん母さんと  呼んでくれる日まで

あなたの手となり  口となる

 

(3)

わたしの中で  輝く命

両腕に抱きたい  夢見る天使

自然の息吹(いぶ)き  愛の唄

いまだ知らない  あなたであろうと

命の囁(ささや)きを  わかるその時まで

母さん必ず  耳となる

 

あなたの姿の  そのままで

生まれておいで  愛し子よ

許されて授かる  一つの命

 

 

錯簡雑記  歌詞  十年先のクリスマス(聖誕祭)    ほでてんごう

日本の 中高年の 歌える 演歌での クリスマスソングをと

スタッフからの 依頼で 作られたクリスマスの唄を

公開 お届けします

 

 

歌詞  十年先のクリスマス(聖誕祭)ほでてんごう

(1)

銀婚(ぎんこん)祝いに  あなたと空港へ

冬の札幌  光の大通り

讃美歌の  礼拝堂

巡り合った  その街で

素敵な  お嬢さんと

声をかけられ  ときめいた

クリスマス(聖誕祭)の  あの日

白い雪の  温もり

 

(2)

もうすぐ予定日   娘が初孫(ういまご)を

命すべては   許され生まれ来る

讃美歌の   礼拝堂

祈りましょう  わが天使

希望の   橋を渡り

無垢(むく)な輝き  煌(きら)めかせ

クリスマス(聖誕祭)の  この日

赤い糸で  孫(まご)とも

 

十年先も  肩ならべ

祝福を  神の御許(みもと)で

例え  命が届かずに

縁(えにし)の糸が  結べなくても

永久(とわ)に  愛のかたちを

今年も  あなたと

(セリフ)

メリークリスマス

 

 

錯簡雑記   賭け事

日本では 価値観というものが 多様性も何も認めず

政治の力で ますます お金一色に なってしまいました

間違った 政策を 行って社会を 生きずまらせた

政党を 日本人が また金の為に 支持したからです

一時期は 野党である 政党が 政権を 握りましたが

結局この政党は 天下盗りだと 堂々と Medeaで

捨て台詞を 吐いて 長年 誤りの政治を 行ってきた

政党を 離党した 大物か 何か 知りませんが

単なる バカを 入党させました

問題のある男で 金銭的な政治の問題 疑惑で

世間を何回も 騒がせています

一度目は第一議員秘書が自殺して 闇に

葬られました 二度目同じような 政治の曲がったお金の問題で

今度は 正義をもって 同じことが 起こらないようにと

検察丁長官の元 時代の勇士たちが 圧力を 承知で

皆 首を洗って 政治の 膿をだそうと 戦おうとしました

前回の轍を 踏まないように 圧力から命を 守るために

後任のこの男の 第一議員秘書を 更迭しました

が結局 立件できずに この男は 大手をふって まだ政治家を

やってます この男の中身は ホントに 単純なバカです

自らの口で Medeaで 総理大臣が 日本で 一番偉い人

と述べてました 本人が総理大臣に ホントは 一番なりたい

のでしょう 自分のことを言いたいのです

政権をとって 短かかった野党の党首は この男が

まるで自分が 影の大番長(子供時代の漫画の登場人物)の

ように そのころの政党の 議員を軒並み 外国に

連れていく パーーフォーマンスして Medeaや訪問国を

にぎ合わせました 借金大国と 世間が騒いでいた頃に

取り巻き連中や バカにつき合わされたSPを連れて

外遊する あほらしさ その金も税金です

時代を 腐った方向に 導く 今の政党の

投票率を 世界の皆さんも 調べてみるといい

日本の政治家は 国民にとって いらないという

現実の 数値が 出てきますから

日本の政治の バカさ加減は いまでも

世界の 笑い物といって 十分に通用します

今日は 賭け事について 記すつもり でしたが

いらぬことに なりました

日本では夜を 迎えています 大空でつながっている

世界には きっと新しい朝が 訪れていることを

祈ってます          K

 

錯簡雑記 体育の日

10月10日 今日は体育の日として 日本では 休日です

皆さん 集中力の 大切さがいくらか 体感出来るように

なりましたか まだなかなか 思うように

いかないという方

バカらしいと 思う方は わざわざ

このサイトを 閲覧するひつようは ありません

私の このサイトは 強制的に お金で 占有して

公開しているものではなく あくまで プライベートな

発信に 過ぎません サイトを閲覧の 必要性のある方だけ

私の経験を 参考にして 役に立つ所を 自分のものとして

取り入れて もらえれば 幸いです

今日は 次の段階の お話をします 非常に 簡単です

強制的に 集中力を つける方法です

それは 躰に 負荷を かけるという ものです

簡単ですよ あと数行で 終わります

両手首 両足首に ウェイトを かけて

日常の 仕事や 生活を すればよいだけです

私は極端でしたが 両手首に 片方7.8キロ

両足首に 片方 20キロの ウエイトを

装着し 一日に1トン以上の

商品の 積み下ろしの仕事をしたり

そのまま生活を 行い 就寝時に はじめて 開放していました

いろいろ問題が あったのですが たったそれだけです

また この2段階に ついては 口述したいと 思います

それでは

 

錯簡雑記  飽話(ほうわ)

今日は日本で 有名な偉人の 話を記します

福沢諭吉 皆さんご存知でしょう

天は人の上に 人を造らず 人の下に 人を造らず

諭吉は いち早く 洋文書を読める 環境に育ちました

簿記を 日本に 持ち込んだのは 諭吉です

人真似じょうずなカラスは 日本では 賢いと されています

しかし 百舌鳥の 知恵は ありません

もうすぐ 冬です わかると思います

諭吉の 話に 戻りますが 諭吉は

いつから 天に なったのでしょう

何かそんな 状況に あったのでしょうか

考え方が 滲み出ているような 気がします

実のある 言葉

心のない 言葉

よく 観て よく 聴いて 考えた方が 良いですよ

KOボーイに 叱られますかね

失礼しました

念(っ)書(う)

 

錯簡雑記 歌詞 蝶々    詞 ほでてんごう

何かの間違いでしょうが 私は 神でも 聖人 でもありません

単に だらしない 人間に 過ぎません

人間という言葉には こだわりがあるので

ただの 人に 過ぎません

間違う事は しょっちゅうですし 隠れて 女遊びもします

社会的に許されないことは 許されない事でしょうが

生きていく 欲を捨てては 食事も 出来なくなります

ただ私は ながらえる事の 出来る命を奪って

自分の命の 糧にしているのですから

食べ物を 粗末に あつかうのは 好みません

冷蔵庫の中で 食べ物を 腐らせるのは 最悪です

 

他を思いやる 他人を思いやる

日本では 死語に なりましたが 察する という言葉が

日本人の心の 風習を 作ってきたと 思ってます

昔の日本人は あからさまな 物言いを 嫌う面がありました

弁を 尽くして 自己主張する

大陸の 風習とは ここら辺が 違う歴史です

 

 

女遊び コールガール を謳った 歌詞を

公開 お届けします

 

歌詞  蝶々(ちょうちょう)  ほでてんごう

 

(1)

黄色に紅(べに)や白  花から花へ

誘いなしには  翔(と)べない蝶々

胸を開(はだ)ける  ラストのコール

抱かれ焦がれる  忘れた恋心

蝶々蝶々よ  夜に舞へ

 

(2)

ネオンの陰に咲く 花から花へ

汗の臭いが  変わればそれまで

かわす情けも  移り香さえも

濡れて焦がれる  忘れた恋心

蝶々蝶々よ  夜に舞へ

愛の売り買い  紡(つむ)いで焦がれ

燃えて儚(はかな)い  恋でも夢にみる

蝶々蝶々よ  夜に舞へ

 

錯簡雑記 歌詞 かわりもの

世界のどこかで 安住の生活の為に

戦火(いくさび)が燃えている

唄しか提供できない ほでてんごう氏と

私は かわりもの という 反戦の唄を

ここに提供 公開する

この作品も 出来て 2年位たつ

ほでてんごう氏の たっての願いにより

手を加えなおし お届けする

 

歌詞  かわりもの  ほでてんごう

 

(1)

茜色(あかねいろ)染め  東の空に

今日も昇るよ  太陽

戦火(いくさび)に  愛の言葉で

戦い散った  戦士たち

 

人は神や  仏に祈る

踏みつけた  蟻(あり)さえ  気づきもせずに

つちかった 時代(とき)にさからい

一人で背(そむ)く  かわりもの

在って許されても  命の切なさに

 

(2)

永遠という  意味さえ知らず

限りあること  わからず

戦火に  正義かかげて

軍靴(ぐんか)を鳴らし  列組んで

 

人は神や  仏を拝む

もったいを  つけても  命を喰らう

つちかった時代に逆らい

一人で背く  かわりもの

愛に騙(だま)されても  一粒パンの麦

 

願いは二度と  この世に召され

命授かる  こと無く

人は神や  仏に祈る

信者とは  つづれば  儲けと読むさ

クロス捨て  数珠(じゅず)さえ  たよらぬままに

 

一人で背く  かわりもの

わかる時まで皆  命の切なさを

 

錯簡雑記 歌詞 臥待月

今から3年前の ほでてんごう氏の 秋の唄

臥待月(ふしまちづき)を 公開お届けしようと思います

東北地方 秋田の唄らしいです

秋田の 六花酒造の じょっぱりという お酒の唄らしいです

ほでてんごう氏が 好きでよく呑んでいるのでしょうか

確か 頑固者(がんこもの)という意味だったようです

 

 

歌詞  臥待月   ほでてんごう

(1)

秋の時雨が 冷たい今晩(きょう)は

浮き世の風も なおさら寒い

津軽なまりで はなす女(ひと)

なぜか  しみじみ  心が  と け る

呑むべし  じょっぱりさ  ぬぐだめる

故郷(さと)の話に  臥待月が

 

(2)

釣瓶(つるべ)落しの  秋めく空が

暮れては誰も  恋しい家路

一人暮らしの  お父さん(おど)が待つ

故郷(くに)へ  やっぱり  戻って  行 く か

呑むべし  いぐでねえ  そんでわも

帰りたくなる  北国生まれ

 

(3)

夜のしじまの  冷たい雨は

うつろう季節  儚(はかな)くさとす

津軽なまりで  はなす女

今も  惹かれて  足向く  の れ ん

呑むべし  じょっぱりさ  ぬぐだめる

淡(あわ)い恋しさ  臥待月に

 

 

 

錯簡雑記 歌詞お好きなように ほでてんごう

暦の上では もうすっかり秋ではありますが

まだ日中 暑い日が有ったり

夏の臭いが まだアスファルトに残ってます

ほでてんごう氏の 演歌

歌詞の お好きなように を公開 お届けします

まだ師走には早いですが 冬の唄です

 

歌詞  お好きなように  詞 ほでてんごう

 

(1)

秩父夜祭(ちちぶよまつり) お囃子(はやし)に

笠鉾屋台(かさほこやたい)が  宵(よい)に発(た)つ

燃(も)え上がる炎(ほのお)  冬咲く桜

紅蓮(ぐれん)に  染められ

お好きなように

 

(2)

任せ投げ出す  心糸(こころいと)

重ねる月日を  紡(つむ)ぐ機(はた)

募(つの)るこの思い  二重(ふたえ)に折って

袂(たもと)に  かくせば

待っててくれと

 

(3)

北へ舵(かじ)取る  漁(いさ)り船

舳先(へさき)に砕けて  波がしら

叶わないさだめ  わかっていても

それでも  一途(いちず)に

お好きなように

 

錯簡雑記 厚生労働省認可薬

精神科の 治療の主体は 投薬である

医者の使う薬は 患者の特定疾病にのみもちいられ

一般に流通することはない 処方箋により調剤される

このような薬剤を 医療用医薬品と呼び 薬局で

販売されている 一般医薬品とは区別されている

これを逆手にとって 患者との何らかのトラブルで

薬を出してくれと 懇願する患者に 薬は出しませんと

紋きり調に 言い返す 精神科医も居た

調剤され投薬を行う 医療用医薬品であるが 長期に入院して

いる者や 入院を余儀なくされている 重度の患者の

親族や 身の回りの者は 気を付けてやらねばならない

また通院している者も そうであるが

新薬の モルモットにされているケースが 十分に考えられる

新薬があります という医者の助言に 藁をもすがる思いで

飛びついたりするのは 危険である

確か 統合失調症の 新薬ではなかったろうか 前評判高く

騒がれた挙句 投薬された者の 死亡事故が相次いで起きたのは

何らかの形で 認可されたのであろうか

新薬の話が出たら 必ず 厚生労働省の 新薬として認可された

医薬品か 確認すべきである 長期の入院患者や

重度の入院患者たちは 生活も何もかも

医者や病院に 依存している 身寄りのない人もおられよう

病院から 出る事の考えられない 人間の尊厳を亡くした

廃人と化している この人たちを 利用するのは簡単である

全てとは言えまいが この手の医療側のモラルの低さ

考えの甘さを  たまたま一部かもしれない

医療側の 人材の質の 問題であろうが

私自身 入院していて 感じたことがある

製剤原料は 医薬品として 位置付けられている

新薬として 認可されてなくても

既に薬には 違いないのであるが

ただし 新薬としての 効能や 副作用については 知見がない

知り合いの患者との 会話に立ち寄る 地元の精神病院の

駐車場で 私はある事実を 垣間見た

病院の 通用門から 製剤会社の女性社員が 台車に

無造作に積んだ 段ボール箱からのぞいている

カルテの コピーを 見たのである

これを運んでいるところであった

私の車の横の 薬剤メーカーの看板の 車に積み込むところを

まじまじと コピー共々しっかりと 確認した

薬剤投薬の 事後データだったのか

新薬の認定をとる前の 薬の新規データなのかはわからないが

カルテのコピーは 立派に個人情報 医者か 病院ぐるみでの

違法行為を 平然と行っていたのである

医者 或いは病院の 裏の商売である

20数年前 私が調べた事なのであるが 今は 薬事法や

色々な法律が 手を加えられているのでわからないが

当時 新薬の認可は 10ヶ所50症例だったか

50か所10症例だったか

検体500人の データがそろい 効能が認められれば

新薬として 認可されていた

全てそうであったかどうかは知らない

駐車場での 大量のカルテのコピーから 私は勘ぐって

考えたのであるが 無きにしも非ずである

本人の 自助努力もないまま 医者のいう事や

薬だけでは 精神病という病は 治らないのではないかと

私は そう思っている それでは

 

錯簡雑記 歌詞 サルビア  ほでてんごう

まだ所によっては 残暑に引きずられてるみたいです

歌詞に謳われている 東北や北海道の

台風による 災害を お見舞い申し上げます

暦の上では 既に 秋を迎えています

暑かった 今年の夏 ほでてんごう氏の

夏の唄を 掲載 公開します

 

歌詞  サルビア  ほでてんごう

 

(1)

強くあなたを  抱きしめても

叶わぬ    悲恋か  サルビア

すべてを捨てて  選ぶことが

できれば 開く 恋の花

燃えて 燃えて 燃えて

ねぶたも 燃えて

闇を 照らせよ 北の夏

 

(2)

これが最期と  とく帯さえ

しのんで 糸引く 襟足

重ねる思い  洩れる吐息

真白き 蝶が 渡る海

燃えて 燃えて 燃えて

漁火(いさりび) 燃えて

闇を 焦がせよ 北の果て

サルビア 赤く たぎる胸

燃えて 燃えて 燃えて

はげしく 燃えて

闇を つらぬけ 北の夏

 

*ねぶたは 日本三大祭りのひとつです*

 

錯簡雑記 歌詞冬のカシオペア ほでてんごう

すべての命は許されて生まれてきました

どの命が いいとか 悪いとか ありません

たとえ病原菌であろうと

害虫と呼ばれるものであろうと

人間ばかりを 命の 主体にして考えるのは 間違いです

 

人の世の中では あらゆる差異によって 馴染まないことによる

偏見や 差別 迫害が まかりとうってます

お互いに知り合う事で 解消する 偏見や差別も あるはずです

差別されるものが 逆に 差別の対象を

作り出している こともあります

今日は ほでてんごう氏の こうした問題をとらえた歌詞

冬のカシオペアを 公開します

 

歌詞    冬のカシオペア  ほでてんごう

 

美津江が悪い わけじゃない

生まれの定めが おまえの所為(せい)かよ

貧しさが罪か 強さは正義か

こぼれて落ちる 女には

日陰で咲くまま 実らぬ花と

冬のカシオペア 冴えて北を指す

 

ちゃんとね出来る お勘定

算数まともに 習ってないけど

ほつれ髪とく手 開(はだ)けた背中に

馴染んだ 女(からだ)  はなれ宿

俺ではだめかと 言い出せなくて

冬のカシオペア 今日も北を指す

 

旅立つ俺を 許せよと

このまま待ってる 荒(すさ)ぶる漁場に

愚かさが罪か 賢さ正義か

こぼれて落ちる 女には

日陰で咲くまま 実らぬ花と

冬のカシオペア 滲(にじ)み北を指す

 

錯簡雑記 非定型精神病

当時うつ病という 病名さえ無かったころ 私の思春期に

患った病は おそらくうつ病だったのだろうが そのとき医者が

非定型精神病と説明していた うつ病という 病名が

なかったためであるが 否定型精神病と 私は勝手に

理解し 納得していた 発育環境で身についたのか

強い猜疑心 劣等感 何よりも 恥をかきたくないという

生来の性格的なもの それ以外の要因もあったのであろう

引き金は 予備校での 人間関係 環境の著しい変化である

思春期の 環境の変化には 親など 周りの者は

特に気を付ける 必要がある

私は うつ状態になり 自己否定の 真っただ中の道を

歩いていた 何もする 気力がわかず ただ横になって

深いため息を つくしか手立てがない

息を 吐く度に 命の炎が 吹き消されるような

思いがし 心が ズタズタのボロ雑巾みたいな 気分だった

病院にもいかず こんな状態で 過ごし 就職した

結果 いよいよ 発病するのであるが

それでも 発病して  入院後 3ヶ月

すっかり回復するのである

がしかし 社会に戻ると 再発し 同じような事を

何回も繰り返すのである この再発の状態は 既にうつを

とうり過ぎていたのかもしれない 退院 再発 また入院

そして 退院 またもや再発と 結局 おかしいなと感じた

予備校生だった 早い時期に

病院の門をたたいて おくべきであり

退院を焦らずに じっくりと社会復帰を 考えるべきであった

現代は 福祉施設が 整備されている 就労支援を目的とする

このような 施設の台頭は 病院を離れて 社会への

復帰に至るまでの クッションとして 緩やかな モラトリアム

な時間を 回復に向かう事が 出来るのである

昔の時代は 精神病院に 行くこと自体が 問題になるのだった

昔の この手の 病院は

ほとんど 閉鎖病棟だった時代である

最初に 私が入院した病院は 時代に珍しく 開放病棟があり

テレビの取材が 入ったほどであったが

保護室はやはり 犯罪者のように 四方をコンクリートと鉄格子

そして明り取りの窓と 配膳の鉄のドア むき出しの便器という

代物であった 再発して 退院し 通院している時

たまらなく 苦しい思いをした 保護室の 写真を撮りたいと

思ったものである 保護室の苦しみを思い出せば

病気は 辛抱出来るのではないか そんな思いを抱いた

病で 保護室に入れられているのに 差別用語なので

表現できないが き○が◯ になりそうと叫んだのである

その当時は 自分の中に 確たる理想像があり

有名人 タレントや 知的な賢威者への 憧れなどではなく

自分自身の将来像 自由を満喫できる 境遇の人間

漫画家という 自由業につければ 自由に

好き勝手なことをして 暮らせると

したい勝手を 自由と思い

子供らしい 夢を見ては 現実の 自分とのギャップに

いつも 焦燥感にかられていた

うつ病だけでは ないのだろうが 精神の病は

突然にやってくるものではない 身体の

どこそこかに シグナルとして 症状が出ていたり

生活習慣や 日頃の 何のことはないと 思っている

ものの考え方が 偏りとなって

ある時 引き金を 引くのである

性格的な 偏りのない人間など は珍しいと思う

珍しいどころかあり得ない それが個性なのであるから

誰でもどなたでも 精神病になりうる 現代の 世の中である

それではまた

 

 

錯簡雑記 歌詞 奈津子

時代の流行は あるものです 日本のヤンキーは

もう古い世代の   話になりました

ヤンキー真っ盛りの頃の ほでてんごう氏の 作品を

公開 お届けします

 

歌詞  奈津子  ほでてんごう

(1)

躰(からだ)しか  見えなくて

あそびだけの  つもりが

つま先  立っては  悪びれもせず

わざわざ荒(す)さんで  俺の胸

男口調  はすっぱな  口をきく

自分の罪を  背負(しょ)ってるか

奈津子  あれから

それぞれの  人生(いきみち)ふたり

 

(2)

金に染め  赤い紅

夜のネオン  さまよう

授かる  愛から  求める愛に

セーラー服着た  あのころと

同い年を  迎えたか  もうあの娘

自分の罪を  背負いながら

奈津子  あれから

いばら道  肩寄せ母娘

 

やさぐれ  四十歳暗(しじゅうぐれ)

人世の  はぐれ者

咳込む片手に  コップ酒

自分の罪を  背負っている

奈津子  あの娘に

俺が  親父と

名乗る  夢をみた

 

 

錯簡雑記 イボの妙薬

私は 吹き出物をよくつぶしたりする 歳をとってくると

皮膚の回復力も 弱まり 何回も同じ吹き出物を

あつかったりしていると 肉腫になり

イボみたいに飛び出してくる 8ミリぐらいになった

口もとのイボは カミソリで 根元から切り取り

傷口に かさぶたのできない パッチを

薬局で買い 貼り付けて 難なくを得たが

眉尻にできた イボは 自分では よく切り落とすことが

困難だった しばらくの間 飲み薬の イクイニンの顆粒を

ローションで といて 塗っていたが

らちが明かない 若いころ 右手の中指の根元に

イボが出来たことがある これも同じ吹き出物を 何回も

つぶしているうちに いぼ状になったものであるが

付き合っていた 女性の

愛液で あっという間に 消えてしまった

きれいに さっぱりと

そんなことが有ったので しばらくの間 女性ホルモンを

塗ってみたが 効果が出ない

エストラジオールという 成分の女性ホルモンでは 効力はない

後から気づいたのであるが 閉経後の 女性ホルモンでも

イボ取りの妙薬にはならない 難しいことはわからないが

胎盤エキス 今 もてはやされている

プラセンタエキスのような ものでないと効かないのであろう

5ミリ程度の 盛りあがりのイボなら 男性の私には

若い女性の 愛液が イボ取りの 妙薬として確実な

効果があった 老化で 変色 黒くかさぶたみたいになった

しみ みたいなものも 愛液を塗りこみ また度重なる洗顔と

ともに 徐々に取れて 回復していく

皮膚のトラブルは 皮膚科に行くばかりではなく

たまに 若い女性の 愛液や 成分であろう

プラセンタエキス配合の 市販薬でも 試してみるのも

病院の 長い待ち時間の ストレスよりも

健全かも知れない それでは

 

 

錯簡雑記 頭痛は目薬で

私は 20数年におよぶ生活習慣で 一日4時間の睡眠で

足りる体に なってしまった 私の生活は 常に 睡眠時間との

戦いだった 今日 なん時間 寝られるのか 考えるだけで

潰瘍までできた 生活を抱え 金の為に 昼夜を問わず 働いた

うたた寝に あこがれていた時期をとうり過ぎても 染みついた

睡眠時間は変わらない 長く寝ると 調子が悪い

疲労を重ねた睡眠は 夢も何も見ないし 目覚めたときに頭に

何もない 自分なりに これが一番 理想的な睡眠だと

確信している  寝て起きたら朝 これである

今から思うと 返って 淋しいぐらいであった

頭痛の話であるが 変な睡眠は おきだちに頭が重かったり

頭痛がする 精神的な病を抱えた人は 経験があると思う

健常者の方も 夢にうなされるというか 夢によって

不快な気分の 目ざめになる事も 有ろう

夢をみているという この状態 私は多分に 視神経が

導入されている のではないかと思う

意識として物をみようとはしてない 寝ているのであるから

当然では あるが 潜在意識の中で 夢をみるという行為は

視神経を使っている という事に 私なりに考え付いた

話である 対処として 医者嫌い 薬嫌いの私は

後頭部の 頭の重さや頭痛が おきだちに 残っているとき

首と頭の付け根である 通常 ドンの首といわれるところや

まわり 後ろ首の背骨からの延長 頭の付け根まで

自分でツボを探しながら 指圧する

行いながら思考整さしたり 観察瞑想を行って 治すのであるが

長いときは3時間ぐらいかかる 何か手立てはないか

考え付いたのが 眼精疲労をとる 目薬である

私は服薬しないが 目薬や塗り薬は 常に選んで

常備している てきめんだった 目薬を差し ツボを指圧し

思考整さ することにより 視神経も 自動整さされ

30分も経たないうちに 治ったのである

薬は なるべく使いたくはないが

やはり 目薬で 頭痛が治る 偉大である

それでは

 

 

錯簡雑記 歌詞 城南談句

それでは今日は ほでてんごう氏が 作詞家をするきっかけとなった

一番最初の歌詞 城南談句を公開 お届けする

 

城南談句   詞 ほでてんごう

 

雨の降る日は 番傘さして

花街通い 乙なもの

格子くぐれば 紅おしろいの

匂いかがずに おられよか

 

夢が覚めたら 枡酒あおり

白日ねむる 分限者(ぶげんしゃ)よ

夜が来るのを 待ち詫びながら

月におひさま 恋痛む

 

晴れた明日には 着流し洗う

男の背中(せな)は 墨ささず

通すいっぽん 物けざやかさ

天を仰いで  御開帳

 

風の吹く日は 手拭(てぬぐい)下げて

裸をさらし 銭湯で

染みて付いたる 世の粗(あら)さびを

きれいさっぱり 掻き落す

 

素直ゴボウは 真っ直ぐ伸びる

ゼンマイくるり ねじ曲がる

何が正しい 嘘いつわりか

たかが人世(ひとよ)の 決まりごと

 

二度や三度は つまずく道理

転んでわかる 愚かさが

渡る世間は ジャリ道ばかり

七つ倒れて 八つ立つ

 

 

主文

ごく最近 一度も作ったことのない フェイスブックを

公表した わからないまま 自分で勝手に リクエストをして

世界あらゆる所から 承認のメールが 次々に 届く結果に

なった フェイスブックの タグ付きの写真で 不正に

プログラムに アクセスしたと 考えられる

私ではない 他人の写真も 公開された   アラビア圏なのか

何処かよくわからない 私にとっては 馴染みのない

国の人たちに 翻訳された ほでてんごう氏の

作品や 私の拙文が どのように 表現されているのかは

知らない 勝手に使用するのは 別に構わないが

宗教の臭いがするので 断わっておく

私も 師事する ほでてんごう氏も この世界から 権力も

拮抗する宗教や 賢威 また熱狂という 単一的な

薄っぺらい感情や かずをつのって 同じ利益の為の

物言いなどは 好まないし 唾棄するほど 生き方とそぐわない

失くなってしまえと そう思っている

金になるとか ならないとか 生きていくだけの

金は必要であろう 否定はしない 有り余る大金は

ささやかに 暮らしていければ 必要ない

また 人見日和な 神や 仏などと いうものに

傾倒するつもりもないし 必要性さえ感じない

キリスト教で あろうが 仏教であろうが

イスラム教であろうが

どれも行きつかない 教えなど

心望することはない

培ってきた文化や化学 医療それを基にした

教育などなど 人類への貢献には感謝するが

行き過ぎた 教えによる こだわりや 考え方には

賛同も 理解さえも及ばない

互いに生きやすく 悪くしようとして

行う者ばかりでは なかろうが

なぜ精神的な自立が いつまでたっても できてないのか

信仰を否定するものではないが

それぞれの 民族 国家 大人 子供 男や女 すべてを

教えや 法律で 統合しようとするのが

元々 無理な話なのである

人類の生存する数の分だけ 教えや決まり事などが

それぞれに作られる というなら 別であるが

不完全であるからこそ 裁判なるものも あるし

あふれかえる 宗教があるのが 現実なのである

生まれや生い立ち またそれによる考え方や 身体的条件など

一つの社会としての 決まりごとに過ぎないものを

一つの考え方などで 統合しようとすることが

はなはな間違いであり 指導者としての 権威や 賢威を

勘違い するものである

いつまでも 行きつかない 理想であろうと

権力も宗教も 常に私は 失くなってしまえと そう思っている

そこのところを 間違わずに これからも

購読するものであれば Mentalpit95 何かの役に

次回は ほでてんごう氏の 最初に作った歌詞を

掲載 公表する

それでは

錯簡雑記 追憶

私は若いころ 自分の仕事について 誰でもできる

しょうもない仕事ばっかりと

父親にこぼした事がある 私の父親は

仕事は 簡単な方が よかろうが

たった一言 そういった

青臭い 私は 生きがいとか それなりの理屈をつけては

結局    自分が好きなことが出来て

楽そうな仕事を 求めていたにすぎなかった

仕事は 簡単な方が よかろうが

勤続年数40有余年 その後も10年 女房や子供の為に

転勤や   いろいろな 憂き目にあいながらも

喃々と 勤め上げた 私の父親の 言葉を

今も 覚えている

精神病も 仕事や家庭 人間関係 社会で 簡単で

楽に生きていければ良いので   あろうが

なかなかそういうわけにはいかない 生きやすく

生きていくことが   できれば 発症することも

少ないだろうし 自然に治っていくものかもしれない

無理を 重ねなければ 生きていけない 世の中が

根本の 病の種なのであろう

医者や 薬を頼るだけでは 治らなかった私は

生活の 成行きの必要性から   自分で治そうと しなければ

仕方なかった事が 結局 私にとって

運のよい結果を もたらしたのでもあるが

治らなくても 生きやすい世の中であれば

それだけで 心の背負う負担は ずっと 軽くなり

治るきっかけを   つかみやすくなるのであろう それではまた

 

錯簡雑記 歌詞 八月の桜

本日は八月十五日の 終戦の日にちなんだ ほでてんごう氏の

歌詞 八月の桜を掲載 公表する

8月のさくら   詞 ほでてんごう

(1)

水盃(みずさかずき)に 勝ち栗昆布(かちぐりこぶ)で

二度と戻らぬ 命捨て

8月のさくら 赤く咲く

誉(ほまれ)とたたえ 散らされて

最期の海へ つばさ染めゆく

 

(2)

誤(あやま)ちさえも 糾(ただ)せぬままに

時代吹く風 あおられて

8月のさくら 赤く咲き

散り際だけが うたわれた

汚名を背負い 逃げもできずに

 

赤いさくらよ 二度とは咲くな

嵐の後の 還(もど)り花

神に仏に 縋(すが)らずに

命のかぎり さくら花

 

 

錯簡雑記 莫迦話

今日はひとつ全然関係のない バカ話をしようと思う

皆さんの所では ギャングとも呼ばれている カラスに

迷惑している   御仁もおられよう 私も確かに

迷惑しているのだが 時にカラスと    遊ぶのを楽しみに

している 時もある ついぞカラスの姿をみないと

カラスたまには 遊びに来いと 玄関先に引っ張り出した

椅子越しに    空に向かって 独り言を 言うのである

私の独り言は 大きな声で    滑舌良く クリアーであるから

近所の者は また病気が始まったと

きっとそう思っているであろうが 私は一切おかまえなしである

しかし良識ある私は 他人の個人的な事を揶揄したり

世間への腹いせに 特定した人物の事を 誹謗 中傷

するようなことはない あくまで 世間や自然の生き物を

相手にお喋りをするのである

前置きが長くなったが このカラス 毎朝 隣の猫の餌を

狙って 嫌というほど 群れて朝っぱらから

泣きわめくのである 飼ってるというか 首をかしげるので

あるが 大量の餌を 十匹以上の野良猫に 与えるため

カラスも御相伴にあずかるのである

カラスであるが 昨今は ゴミ袋を 金網のフェンスの中に

入れたり 網をかぶせたり

マンションなどは ゴミ収集の 共用室があり カラスや

野良犬 野良猫 タヌキなど 寄せ付けない仕組みになっている

カラスは 胃袋の おかげで賢いと思われるようになった

人間と同じである

鳥は はるかに 他の生き物に比べて 目が良いのである

人間のすることを 高みからよく見ている

飛ぶために食べるのか 食べる為に飛ぶようになったのかは

知らない その錯誤は

生きるために働くのか 働くために生きるのかと

仕事熱心なあげく うつになっていくような

社会人にも 聴かなければ なるまいが

私は思うに カラスこそ 生ごみの 自然リサイクル処理に

充てるべきではないかと 政府から どこに流れているのか

わからぬ リサイクル料や 業者への助成金など いらぬ血税を

消耗されるより なんとかカラスを 一か所に集め

ビニール袋事 カラスに与えるのである

勝手に 袋を破ってカラスが生ごみをあさる ふんだんにやると

カラスも 人間のように なんでも基本的カラス権を

主張しだすと あとあと 公務員みたいに 組合でも作って

太ったカラスの ブランド化した肉を

売って 金を稼げなくなるから

現政府の ごまかし 目くらましの 三本の矢程度の

知恵も使う必要がある

ゴミを処理し その成果としてブランド化した

カラスの肉を売って 金儲けができる

これほどの自然リサイクルが あるだろうか

廃棄物処理の 大名案だ

誰か買ってくれないだろうか アイデアを

それではまた

 

錯簡雑記 歌詞  時代

本日は続いて ほでてんごう氏の 出来立てほやほやの

歌詞を掲載する 公表することによって

著作権は確定し 著作権者となりうるのである

ほでてんごう氏は 幾度となく 著作物の権利を

他者に侵害される結果を 招いている 音楽出版業の

使命として mentalpitの本分を外れるが

ここに 公表しお届けする

 

歌詞    時代  ほでてんごう

(1)

街角に捨てた  恋のかけらを

激しく叩く  春の時雨か

言葉を重ねて  時代の縁(えにし)

信じる愛を  片手でさがす

 

(2)

バカじゃないみんな  誰もしてるわ

金持ち探す  愛の繰(く)りごと

おしゃべり男に  計算女

真実なんて  金さえあれば

 

(3)

抱きしめて強く  熱い血潮の

温もりだけを  愛のかたちと

それでもいつか  ほんとの彼(ひと)に

アバキュスレディ  わたしは女

錯簡雑記 歌詞 水酒場

出来たばかりの作品の公表をと頼まれた ほでてんごう氏の

水酒場を お届けする

 

歌詞   水酒場     詞 ほでてんごう

(1)

下戸の あなたが  グチ愚痴と

世の中 腐して  さも偉そうに

聴く身の わたしは

あなたの弱さが よくわかる

ここは三軒 両隣り

暖簾提灯 ないところ

女房おかみの 水酒場

 

(2)

呑めぬ お酒じゃ  苛立ちを

鎮める 相手は ただ一人きり

わたしで 済むなら

こぼして忘れて わたる世を

ここは三軒 両隣り

暖簾提灯 ないところ

女房おかみの 水酒場

 

ここは三軒 両隣り

暖簾提灯 ないところ

女房おかみの 水酒場

 

錯簡雑記 歌詞 恋晩夏

八月十五日の玉音放送の後 第二次世界大戦は終結し

終戦の日とされている

実際には 八月六日 九日に原爆が 落とされた日を

さかいに 日ソ中立条約を 一方的に破棄し

侵攻してきたソ連軍との戦いが まだ続いていたのである

本日は あまりよく知られていない

北方の戦火の傷跡を題材にした唄をお届けする

 

歌詞  恋晩夏     ほでてんごう

(1)

一人で背いても 損なう命

正義を旗頭 時代の波に

押され呑まれて お国のためと

 

今年も 夏が来た

ハマナスの花よ

残り指折る 私の夏が

 

(2)

言葉も交わせずに 目も伏せながら

恋心(思い)のひとつさえ 小さな胸に

幾重たたんで 小旗を振った

 

今年も 赤く咲く

ハマナスが香る

宗谷岬は 今では遠い

 

(3)

恋とも言えぬまま 案じて祈り

一途な心こそ 愛だと信じ

お下げ髪した 挺身隊の

 

今年も 夏が来て

ハマナスの花よ

散ったサハリン あの恋晩夏

 

錯簡雑記 臭いについて

本日は臭いというか 香りについて記そうと思う

私はびったれで とてもきれい好きとは言えない

普段は 髭もそらないし 髪もかまわず 同じ服を

何なん日と着ている人間で 風呂も 一週間に

一度位しか入らない しかし

躰を外的である病原菌から 守ってくれる 常駐菌まで

毎日石鹸をつけて 洗い落とすような

それこそ病気みたいな 無菌室の豚化した

現代人の 愚かさは 野人の

私は 持ち合わせていない 20年喃々と

風邪ひとつさえ ひく事もなく 躰に薬を いれた覚えがない

しかし あまりにも 見苦しかったのであろう

スタッフの一人から 社長もっと小ぎれいにと 箴言を受け

最近は少しは 気を遣うようになった

他人から よごれやん とも言われた

昔 風呂にも 満足に入れなかった 人たちも

私と同じように差別の 対象に なったのであろう

臭いもしただろうし それが鼻つまみ者の 語源だろうか

アロマテラピー もう既に 聞き覚えのある言葉であろう

皆さんはどこまで ご存知だろうか

アロマテラピーとは フランスの比較病理学者がつくった言葉で

アロマとテラピーを芳香 療法と直訳すれば

芳香療法なるものである

アロマテラピーは植物から 抽出した香り成分を使って

体内環境を一定の範囲で維持する 恒常性をとりもどし

心身のトラブルを 穏やかに回復する 自然療法である

香り成分は 鼻や皮膚から 感情や欲求などの情動を

つかさどる 大脳辺緑系を とうり 視床下部に至り

反応して 鎮静作用 ホルモン調節作用 免疫賦活作用

その他 抗菌・抗真菌作用 抗ウイルス作用 虫よけ作用などと

介護や医療、予防医学などでも活用され

精神を リラックスさせる

前脳前室による 理性ばかりが 感情を沈め ストレスホルモン

コルチゾールを 減少させると 瞑想ともども

堅苦しく 考える必要はない

嗅覚である 臭いや香り

聴覚の音楽や音(音楽療法士という職業もある)

触覚の手触り

味覚や 視覚など

自らに 備わった五感と

経験した楽しさや 気持のよさなど

相まった記憶を 思い出すことや 好きな事をするだけでも

ストレスを 減少させるのではなかろうか

私の父親は 夜遅く帰宅し 風呂の中で いつも口癖のように

極楽 ごくらく と言って 湯船につかっていた

ホントに極楽で それが一日の区切り

ストレスの解消が出来たのであろう 一生懸命に

働いて風呂につかる たったそれだけの事でも 満足を知れば

病は 逃げて行くのだと思う

そのやり方を自分で見つけることが

開放の道を 歩く事に つながるのであろう

それではあなたの ストレス解消法を

 

錯簡雑記 息子よ

本日は ほでてんごう氏の 歌詞 息子よ をお届けする

彼と私は 同年代 同じ時代を生きる 朋友である

 

歌詞  息子よ    ほでてんごう

暮らしに 追われ 過ごす日

サビついた けれど

いやでも 朝日は昇る

握りつかんだ 掌の中に

みつける答は 金ばかり

たまには 帰れ

母さん 自慢の

あついみそ汁食べに

 

誰かに 口を とがらせ

かみついて みても

かわらず 夕日は沈む

若いこころの 汗苦労

いつかは答を みつけるさ

たまには 帰れ

母さん 自慢の

あついみそ汁食べに

 

両手を 合わせ 祈れば

やすらいで 済むを

大人に なれずにそむく

世間爪たて 牙をむき

いっぽん道のり 親ゆずり

たまには 帰れ

母さん 自慢の

あついみそ汁食べに

 

錯簡雑記 報道されないままの事実

新聞社などが 人身保護の為 協定を結び

報道を一時的に 控える事は

過去にもあった 人道的な見地から 納得ができるのであるが

権力に迎合して 報道されないままの事実もある

その代わりに 水面下で ニュースソースの

取引が図られるのである

膨大な情報は 新聞社などにとっては 金儲けの 材料であり

事実ばかりとはいえ 編集により

世の中をゆがめる 記事体裁による 紙面作りをすることも

マスメディアという 肥大化した 権力のなせる業である

新聞紙面や電波に載らない 集められた情報は

ゴシップや 信憑性のあまり 問い沙汰されない

出版物や その他の商品として

金の価値に 替えられていくのである

むかし ペンは剣より強しと 報道の気概を謳ったものであるが

ペンは 金より 弱し

というのが肥大化した マスメディアの 現実なのである

私が子供だった頃 大麻の群生が 報道されたことがある

これは犯罪を 未然に防ぐためか ブレーキをかけられたのか

事実は その原因の報道に至らなかった

鳩の餌 鳥のえさとして

当時 熱処理のされてない輸入品の種が

大麻の 群生を呼んだのである

私の父親は 朝から晩まで 新聞を手放さなかった人ではあるが

私は 裏側を読もうとする 事実の報道が主是であるが

逆に事実の 寄せ集めにより いかにもそれが大勢のような

社会不安を あおった記事も

読み手として 気を付けるべきである

買われて読まれるための

売れるための 紙面づくりがある事を 忘れてはならない

世相の アンケートなど 昨今 なにかと

数字のデータを載せて 信憑性を高めている

世の中の 趨勢を知るのに

無作為に 選び出したという うたい文句

そのうちの 何パーセントの回答だったのか チェック

それはまた 調査されたもの以外の

全体の どれほどの 指数なのか

考えなければ いけない

またアンケート調査を 発注した業者名とか

イエスデーターの 得られやすい

考え方の 回答者の 過去の登録者数はないかとか

マスメディアにとっては 記事の意向に沿った 事実という

形の体裁の アンケート結果さえあれば

世相という とらえどころのない物も

信憑性のねつ造に 近いような 裏付け  記事で

売らんが為の 商売が出来るのである

データの 母体を考えなければ マスメディアという

権力に 利用されてしまう事に 気を付けるべきである

ついつい マスメディアという 権力について 本日は

筆が 滑ってしまった それではまた

 

錯簡雑記 川柳

本日は ほでてんごう氏の 川柳を紹介します

ラジオの 川柳番組や 昨今の川柳は

こっけいばかりで うがちがない

ほでてんごう氏の 酷評ですが

そのわり あまり上手とは私は思いません

二句を 掲載します

わかりにくいと思いますので テーマタイトルを 付記します

為す     ほでてんごう

江戸前の         解釈は無駄な事かと思われますが

つづけ漬けても      江戸前の代表色は 通俗 紫です

上がり茄子        為せばなるにかけたものです

 

つる巻けど

実らぬほどの

茄子もあり

 

 

錯簡雑記 金だけがすべての価値観

高齢者の 貧困家庭が 増えていると聞く

スーパーなどに行くと 安売りの 即席めんを

山ほど買っていく お年寄りをよく見かける

即席もの 出来合い品の 手軽さは否めない 時代である

気を付ければならない 大事件が

即席食品の業界に 起こっていたことを

皆さんは 御存知だろうか

たぶん時効だと 思うから記すが

私はカップ麺 特に日◯食品の

一番最初に出した カ◯プヌードルが 好きでよく食べていた

10年位たつのであろうか このカ◯プヌードルの

味が 変わってしまったのである

そう だしの味が変わったのである

原材料が 牛の肉骨粉から 豚チャウダーに

すげ替えられたのである 気が付いた人はもうお分かりだろう

飼料に混ぜた 狂牛病の牛の 肉骨粉からも

それを食べた牛から 狂牛病の発症が考えられる

というような ニュースもあったような気がするが

人に感染すれば ヤコブ病になる

カ◯プヌードルの原材料は 世間に知られないままに

牛の肉骨粉から 豚チャウダーに変えられたのである

熱処理 その他 ヤコブ病に感染する事はあるのか

因果関係として 結びつくのかどうかは知らない

世界の市場に 出回った カ◯プヌードルを

回収したという ニュースは聞いてない

日本の 即席食品の業界の 隠れた 大事件だったはずである

顔の見える 生産者とか 何とか云ってセールしている

量販店もあるが 逆に それだけ食品の世界は

モラルが不誠実で あるのかもしれない

カ◯プヌードルの事を 記したが

世界的な飲料メーカー コ◯・コーラも

世界で 常習性が騒がれた

麻薬の原材料であった コカインが 事後

日本では カフェインに すげ替えられている

弁当箱も 水筒も 昔とは違う

はるかに高機能なものが 市販されている

私のような 手弁当派は ただ只 女房に感謝するばかりである

疑ってばかりじゃ 先に進まないだろうが

金だけが すべての 価値観の 現代の世の中は

騙されない知恵も 必要である それでは

 

 

 

錯簡雑記 関係のない儲け話

私は若い頃から ヘビースモーカーで

今でも一日 四箱は 喫煙する

吸い方も貧乏性で 根元まで吸うのである

体の事というより タバコ代にかかる お金を考えると

馬鹿らしいと 思うのである

どんどん値段は上がっていく ひと箱500円近くするのである

何とか言ってる 日本国は国税 地方税と

ひと箱当たり50%ちかくの 歳入がある

日本たばこの 小売店の卸率が 60%位なのである

私は思うのである なぜタバコを買わなけりゃならないのか

もはや お酒もタバコも 国の干渉を外れ

自家製の お酒やタバコを作っても

法律には触れない お酒は別として

自分ブランドの タバコを作って 喫煙した方が良いと

そこで タバコの 紙巻の装置は 市販されてるが

肝心かなめの タバコの苗というか 株というか

それが手に入らない なぜだろうと調べてみたら

政府なのか 日本たばこかが タバコ農家と

契約を 結んで 市場には 流通しないようにしているのである

契約の内容によっては 独占禁止法に 触れる問題である

誰か タバコの 植物の育て方 タバコの作り方を

添え紙 或いは ホームページで紹介できれば

海外から仕入れた タバコの植物を

流通させるだけで きっと一財産 出来るのではなかろうかと

タバコを売るのではなく 植物を売るのであるから

法律には 一切触れない 資格もいらないし

個人の事業で できる

ただ輸入するのには 税関をとうす手続きが

ちょっとややこしい

世の中から 疎外されても 私のような 愛煙家には

喉から手が出るような 話だと思うが それではまた

 

 

錯簡雑記 瞑想の話

最先端の 脳科学では 瞑想の効用が 脚光を浴びている

疲れない脳 ストレスに強い 脳として

宗教の 領域を超え 科学の分野としても

取りざたされている 脳の成長は 今までは

ある年齢が来ると 成長が止まり 退化していくというのが

定説であったが それもどうも違うらしい

瞑想の話であるが 脳の中で 感情をつかさどる部位

偏桃体 この偏桃体を

理性によって コントロールしているのが 前脳前室

偏桃体が ストレスホルモン コルチゾールに占拠され

前脳前室が 理性によって 偏桃体の感情を コントロール

出来なくなると 脳全体が ストレスホルモン

コルチゾールに 覆われてくるのである

そこで理性により 感情をコントロール 出来るようにするのに

現代脳科学は 瞑想を 科学としてとらえ 重視している

瞑想には 一つに 集中瞑想

もう一つに 観察瞑想 というものがある

何が言いたいか ピンとくるものがあれば

貴方は 私の拙文を 読んでいる ありがとう

集中すること 集中しようとすることが

脳を つかれなく 強くする 一つのやり方である

闘病の結果 私は習いもせず 体得したのである

感情に 振り回される事は ほとんどといってない

もう一つの 観察瞑想であるが

外の目をもって 自分を観察したり その感情を分析する

確か 内村鑑三の 内観法というのがある

興味のある方は 本を探してみると良い

また外の社会の 人や 世の中を 同じく観察するのである

私は共稼ぎで 夕刻六時に帰宅する

妻はそれから 家のかたずけ洗濯などの

おさんどんを するのである

夕飯は 八時半 私は何をしているかと言えば

妻には 申し訳ないが 長年 玄関先に椅子を引っ張り出して

うつろいゆく 季節 花 鳥 虫 犬や猫 月などを眺めている

はなしかけたり 事象について 考えたりして

過ぎていくのである 何年もしている事なので

妻も何も言わない 最近は かわいらしい声でなく 蝙蝠が

今年は 去年から たったの一匹しか姿を

見かけないので 心を痛めている

みんな 一生懸命に働いている

人は 動き回る その足の裏で 同じように働いている

アリを 踏み潰すのである

ほでてんごう氏の 歌詞から 生きる事の 罪を考えたりもする

こうした時間は 心を穏やかにし 季節や生き物たちを

感じながら 一日の疲れが なくなっていくのである

瞑想の話であるが 確か ジョンカバットジン という人の本を

探してみると良い この後文はいずれまた

 

錯簡雑記 また関係のない話

現代ではどの会社も 個人情報の扱いについては

神経をとがらせている

この個人情報であるが 大手を振って

売買している 大手企業が ある事を

皆さんは 御存知のはずであるが よくその損失を

権利として 告訴しない

善良な 国民ばかりなのだろうか もちろん私を含めて

騒音公害など 命や身体に係る事については

住民が 結束して 告訴するのであろうが

一人で告訴しても 大したお金にはならないと

思っているのだろうか

告訴すれば 必ずと言っていいほど 勝訴する

私は多数は求めない 誰かnetで賛同者を募って

告訴すればよい  プライバシーの侵害であり

もともと違法なのである  新幹線や 高速道などの騒音は

100メートル離れた 壁面で70デシベル

私が 何十年か前に調べた 法文であるが

今は音量の 単位も変わってるようだし わからないが

在来線 私の場合は事務所が 在来線の線路際にあるので

電車通過の際は 電話の音が聞こえなくなる

在来線の音に関しても 皆さんおとなしい

JRには 補償の義務が 生じてくるはずであるが

長い間 野放しに なってるので 難しいのだろうか

あ 申し訳ない 騒音の話ではない この個人情報を

個人の 了解なしに しかも

掲載してきたことに対する 補償金の

支払いもせず 出版している

そう前身は マッチの製造会社の 小倉に所在する

大手新聞社と 同じ建物に入るほどの 住宅地図の会社である

これは試しであるが 住所や氏名で 郵便配達員に

尋ねてみるといい 郵便法の内規か何かで 断られる

公開の 必然性があれば 日本郵便がとうにしている

やはり そういう面では 国の関係だったものは

しっかりしている 話は飛ぶが NTTの番号案内で

或いは電話帳で 逆引きの 物があればと思ったことがある

電話番号から 相手が特定できる

これもまた NTTでは問題が考えられ

サービスは行っていない

住宅地図の話であるが

個人情報に関する法律が 施行されたとき

この会社に

個人の無承諾 今後の掲載 補償料の支払いを 文書ではなく

口頭で 文句を言ったことがあるが

返信として 裁判前提なのか

文書で お願いしますと 返送してきた

誰かが告訴すれば 勝訴する運びとなり 判例が出来上がり

他人の個人情報を 無断で勝手に 大手を振って 売り買いして

当たり前と思って 商売しているこの会社も

迷惑に 感じている者が ある事を知るだろうし

飛躍していく netにおける 個人情報侵害の

くさびにも なるかもしれない

ポリシーのない どっかの 政治家みたいな

思い付きの 行動力でも 厚顔無恥にも 根を張るのだから

世の中は面白い それではこれで

 

 

錯簡雑記 好きな事

病にかかっている時 私は自分で自分自身を

信頼することが出来なかった

車の免許も 持ってはいたが危ないと思い

丁度車検の時期になっていたので

更新せずに車を捨てた 私は加害者としては より危険性の

少ない 当時三輪の 原付に乗り 通勤などの

用を足していた それでも わけのわからない

トラックとの 接触事故を起こしたりして

右ひじを痛めたりした 病気の症状がいくらか落ち着いて

また車を 運転するようになったが 幾度となく

事故を起こしている 病を患っている場合は

なるべく 車などの運転は避けた方が よいと考えられる

自分で 自分自身を信頼できない 自分に 自信が持てない

この状態は特効性はないが 何か 自分の好きな事

趣味に打ち込んでみることをお進めする 統合失調症は

感情表現や コミュニケーション能力が 乏しい人や

かけた状態にある人が多い 感情を表現するような能力を

高めるのは 開放の道を歩くのに 大切である

今はありとあらゆる 趣味や習い事など

自宅で一人で始められる 通信教育がいくらでもある

何か打ち込めるものが ないか パンフレットを

取り寄せてみるのも 一つの手立てとして

有効だと思う 好きな事を 継続して打ち込むことにより

その深度が深まり 賞を貰ったり 高い評価を得るようになれば

それも病を治す 開放の道だと思う

私は ほでてんごう氏の元 下手ではあるが 唄を歌って

公演し始めたばかりで 私の唄を 聴いてくれる人がいる

有り難い喜びでもある お互いに開放の道を 歩きましょう

それでは

 

錯簡雑記 歌詞 もどり酒

歌詞 還り酒     詞 ほでてんごう

酒 酒よ

酒豪を(つよさ)を 誇って 呑んで

はしゃぎ 騒いだ 若いころ

ネオンに 誘われ

心ゆらいだ ころには

実家に 頭下げ

おまえを迎へに 出掛けた

 

酒 酒よ

時計が あの日を 刻む

おそい お昼の お弁当

最期の 手づくり

過る(よぎる)おまえの 横顔

偲んで 還り酒

弔(とむら)う骨さえ ないまま

 

酒 酒よ

あれから 娘も 嫁ぎ

宵に しみじみ 手酌酒

一緒に 呑むかと

月とかたれば 時すぎ

たまった 洗い物

夜更けて侘しい 片付け

 

酒 酒よ

あれから 娘も 嫁ぎ

宵の 手酌の 還り酒

 

 

 

錯簡雑記 歌詞 かわりもの

歌詞 かわりもの     詞 ほでてんごう

 

茜色染め 東の空に

今日も昇るよ 太陽

過ぎし日に 愛の言葉で

戦い散った 昔人

人は神や 仏に祈る

踏みつけた 蟻さえ 気づきもせずに

つちかった時代(とき)に逆らい

一人で背く かわりもの

在って許されても 命の切なさに

 

永遠という 意味さえ知らず

限りあること わからず

戦日(いくさび)に 正義かかげて

軍靴を鳴らし 列組んだ

 

人は神や 仏を拝む

もったいを つけても 命を喰らう

つちかった時代に逆らい

一人で背く かわりもの

愛にだまされても 一粒パンの麦

願いは二度と この世に召され

命授かる こと無く

人は神や 仏に祈る

信者とは つづれば 儲けと読むさ

クロス捨て 数珠(じゅず)さえ たよらぬままに

一人で背く かわりもの

わかる時まで皆 命の切なさを

 

 

錯簡雑記 宗教について

3月8日は 忠犬八公が 死んだ日である

うちに拾われてきた 老犬のパピヨン

昨日死んで 今日送り出してやった

本日も 病気とは直接 関係のない話を記す

前に私は 自分独自の 宗教を持つようになったと書いた

自分自身の 宗教なので 布教などという 無責任なことは

しないし 家庭を捨てて 出家などして

その挙句の いらぬ おせっかいは しないのである

宗教の話であるが コロンブスが ヨーロッパから船出して

新大陸 アメリカを発見した 資本主義の元を作ったのは

学者ではない このコロンブスである

アメリカと 呼ばれ出した国に 元から住んでいた

原住民 元住民を インデアンと呼んだのを

不思議に思った方は いないのであろうか

そうコロンブスは 商売道具を積んで インドを目指して

インドと思って 元住民を インデアンと呼んだのである

キリスト教は 牛を食べることが 許されたと

勝手に言っているし インドでは

牛は神の使いと されていたのか 食べる風習が なかったのか

コロンブスは カトリックに対する 反発もあったのか

不倫の子 キリストが どこまで何を 言ったのかわからぬが

理屈の通用しない 幼子に 洗礼を受けさせたり

悪魔狩り 魔女狩りと 狂人たちを 抹殺したり

十字軍による 宗教戦争もあった

今テロが 騒がれているが 落ち着いている宗教も

昔は同じような 間違いを おこしているのである

我が国日本も 仏教は 差別を助長した

四つ足を 食べるものを 社会から 隔絶し

白い目で見 さげすんだ

人間はなぜ生きるのか 人生とは命とは 何か という

私にとって 思春期の問題に 過ぎなかった 哲学的な悩みを

乗り越えられない 連中の 中途半端な 教えが

どの宗教も 受け入れなかった理由である

食の問題は 必ずぶち当たるのである

それが どの宗教も 解決できずに 欠落している

日本の 仏教のゆがみに キリスト教が受け入れられたのも

食をからめた 差別の問題からである

豚は不浄のものと 云ってみたり ベジタルばかり

食べる 一種の宗教みたいなものもある

2000年のたわごとが まだ世界の核を なしている

日本には いただきます という風習がある

宗教から来ているのであろうか

全文を 忘れてしまったが

貴方の命を 何々という文言が 省略されて使われている

命を 培ってくれる 他の命に 感謝するのであって

人に日和見な 神や仏に 感謝するものではない

日本の 賞味期限切れ などによる 廃棄食材の 総量は

貧困で飢えている 海外の国々の 食料を 十分に賄い

お釣りが くるのである

食品原材料の 殆どが 輸入で賄っている国 日本の

これが 現実である

もし世界的な 自然災害でも起きれば 日本国民は

何ヶ月間 生きながらえるのか

過年 イギリスに 議会政治の勉強を しに行くといった

たわけた 国会議員がいたが そんな税金を使うぐらいなら

フランスに行って 勉強して来い 愚か者  と言いたくなる

最後に 私が送り出した パピヨンへの文言は

二度と 命を 授かるなよ である

それではまた

 

錯簡雑記 関係のない話

本日は 病気とは関係のない話を記します

皆さんは コンマ何秒の誤差もない

電波時計を 使われている方も 多いと思います

この電波時計 実に日本で公開され 考えられたのは

今から50年以上も前 開発者は この頃の特許の占有期限

15年を 過ぎ大きな損を 政府の為にこおむっています

当時 日本の 精密機器製作の技術 そうゼンマイを使った

時計の制作技術が スイスを抜いて世界一になった頃です

そのため 電波時計は 日の目を見ることなく

黙殺されました 市場性が為です

それから後年に 及びますが これもまた

開発者が 無念の涙を のんだ話です

現代 自然環境にやさしい 鉄に代わる新たな素材に

政府から 開発援助の 予算が充てられてます

自然環境の問題を置くと 鉄より硬く 加工の工程も

はるかにかに少ない プラスチックも

30年といわぬ前から 存在しています

製鉄工場のような 莫大な大気汚染もない プラスチックに

特殊な光線を 当てるだけの製造工程

これは製品化されました 建設用の釘として

ヒットしませんでしたが おそらく開発者が起業し

セールスに及んだのでしょう

他に 汎用の利用の仕方に 考え及ばないうちに

資金が切れたのでしょう

自動車の話ですが エンジン開発では名高い

マツダが 水素エンジンの試作に 成功したと言うニュースも

公表されて何年たつでしょうか 10年に及びますか

供給するスタンドの問題 その他あるのでしょう

市場性です 水素エンジンも

50年くらい 先の話になるのでしょう

市場性というのは 商売をしていくうちでは 大切です

日本で スーパーマーケット開こうとしていた

海外の企業も 日本は まだそこまで 育ってないと

時期を 見図らっていた という話も聞きました

戦後 マッカーサーが 日本人はみな 16歳と言ったのです

商品の開発と 市場性のマッチが 商売のコツなのでしょう

光ファイバーを 皆さんご存知だと思いますが

電気信号を 光にするという 使い方をされてますが

何もそんな事だけで 終わらせることはないのです

LEDをご存知ですね 大した発明なのでしょう

家庭の照明に 限って言うと 光ケーブルには

比べようがありません 家庭の電気使用量で

一番大きいのが 照明に係る電気代です 最初の設備費は

かかりますが 集光機 太陽電池を 組み合わせて 光ケーブを

利用し 照明代をタダにしましょう

簡単だと思いますが なぜ気が付かないのでしょう

それではまた

 

 

錯簡雑記 常識について

世間の人は よく常識があるとかないとか 口にする

しかし この常識であるが この言葉ほど 特定が難しく

あいまいな事はない 国によっても 生まれた環境

育てた親 その人の歩いて来た人生 性別 年齢

学歴や 職歴など それぞれによって 千差万別

一概にくくれないのが 普通である

病を患うと 社会とのかい離が起こり 結果 社会的な常識から

だいぶ かけ離れるのである

私が小学生のころ 頭もよくてかわいい女の子が 授業中に

大人のおっさんがするような 大きな声でくしゃみをしたのを

呆気にとられて聞いたものである その子の家庭の常識である

最近見ることのない テレビを 偶然食堂で眺めていたら

ステーキの店で 口いっぱいに 肉を詰め込んで

口を閉じるでもなく 食べていた 若い女性の姿が

放映されていたが 現代というのはこういうものなんだろうと

妙に納得した 女房がそんなことをする女なら

結婚は してなかったろう

誰もしないことは 非常識

誰もがしていることは 常識と判断するのが

横並びの 現代の日本の 常識である

間違っていようが 曲がっていようと

常識なのである 病の人間は この非常識な文言や

しぐさが 顕著に見え隠れする

一般の現代人も そうなのであるが 外から 自分を

見る目が 著しく欠損している ファッションや

見てくれだけは 別のようである

私たちの時代に 重くのしかかっていた

恥という文化 そのものの 考え方が

なくなった せいでもあろう

病の人間は どうしても 自分にとっかかり過ぎるので

ちょっとした事で 相手が こう思っているのではないかと

先回りして考え込んで 落ち込んだり

爆発したりする

言葉での思考が 逸脱したり 妄想の世界へと向かうのである

前にも記した 病気ノートなど 思考の 可視化により

思いを現実に表現することも 外から自分を見る目にもなりうる

統合失調症は 常に監視されてるという症状もひとつあるので

段階により一概にはいえないが開放に向かっていく段階には

外の目で 自分を見ることは

表面だけでも 社会の常識に 合わせる事が出来る

いらない事かもしれないが それでは

 

 

 

 

錯簡雑記 集中力について

病を治す重要なキイワード 集中力について

今回は もっと詳しく 記してみようと 思います

統合失調症の 症状の一つに 集中力がなくなるというのがある

これは集中力が 働かないというのではなく

尋常ならざる 集中力が 病の方に向いているという事なのです

そのため 他の事に 集中できない 状態にあるのです

病に向かっている集中力を 作業という道具によって

切り替えることで 病の思考を一時的に停止させ

他の事に切りかえていく すべを 身に着けることで

時間はかかりますが 薬 医者を頼ることなく

すっきり病気から 開放されるのです

皆さん 薬を死ぬまで飲む 必要があると

思ってる方は 私の拙文は 必要ないと思います

私は 意図して行ったことではなく 闘病生活を振り返ってみて

病気を治す 治療法だという事に 気が付いたのです

初期の段階では しばらくの間 作業に集中してるようでも

頭の中は 病気で回ってます 単純作業は 初期の段階では

より良い道具です より早く より確実にと

与える負荷(目的) 自らで自分に与える ストレスは

病気で回っている頭に 動気付けを与え 早く早くと

せき立てることによって 作業時間を過ごしていくのです

統合失調症の症状には 誰かに監視されているとか

自分の事が 人に筒抜けで 周りの他のものが 自分の悪口を

言っているというような 私にも有った症状ですが

逆手に この強迫的な症状を 利用するのです

自分を せき立てることによる 集中力は

より早く より確実に という

動気付けを高めることと 相まって作業に没頭していけるのです

病気が味方してくれると 以前書きましたが

それがこういう事です

初期の段階の 事でとどまってますが

あせらずに 人の教えることを

言葉どうりでは 一遍には理解できませんから

自分で 実践していく事で 私ではない

あなたの 解決方法が作られていくのです

作業時間だけでも 貴方の集中力の 切り替えが出来るように

祈ってます それでは

 

錯簡雑記 目つき

精神病を患っている時は すぐに心が折れる 落ち込んだり

トラブルを起こす 原因を作ったりする

健常者なら感情が複合的で 幅があるが 病の人間の感情は

直線的で余裕がない ストレスが鬱積していたり

病気で頭が回っている時は 他人のちょっとしたしぐさや

言動が引き金になり 興奮したり 落ち込んだりする

落ち込む方は 内因的で個人の問題であるが 興奮するタイプの

病人は 社会で トラブルを起こすのである

これを回避するには 人間関係 健常者もそうであるが

目線というか 視線というものを

ずらしたり 落としたりして 相手と 直接かみあわない

見守るぐらいの 余裕を持つことであるが

若いうち また病人には 自分の目線でしか 物が見えない

歳をとってきたり 病が開放に近ずくと 出来るようになるが

性格的な要素は 一概に治らない

目線が同じところで 噛み合うのである

赤ん坊が 泣いたから 怒って投げ捨てる

最近は こんなニュースも 目にするようになったが

思慮も何も 余裕のない同じ目線で 噛み合う結果である

売り言葉に 買い言葉の 類ではしょうがない

目つきが悪いとか言って 難癖付ける輩もいるが

目つきをうかがうのは 大切である 大量の薬を飲んでいたり

精神の錯乱状態にあるものは 瞳孔が 開ききっている

死んだ魚のような眼をしているものである

目つきとか雰囲気を察し 対応することに 越したことはない

家族 身内に病人がいる場合は 本人になるべく負担をかけない

配慮が必要となってくる 温かい目線で 接することが大切です

それではまた

 

 

錯簡雑記 歌詞 昭和Ⅱ

私は一人で 立ち直ったみたいに 思われている方

もいるでしょうが 両親の深い 慈愛の元に病気も回復し

生活も 何とかおくれるようになったのです

父は16歳のころから働き  金鎚で頭を叩かれて

仕事を教えられたことも あったと聞いてます

小さい頃わたしは  父が嫌いでした

暴力こそ 一度も振るいませんでしたが

酒を飲むと  酔っぱらって 愚痴ばかり  こぼしてましたので

そのだらしなさが 父を受け入れませんでした

私は病気でつまずく度   人を頼らず一人で立ち上がりましたが

結局そう思ってるだけで 後始末は親がしてくれたのです

女房は 私が病気だからという事で 医者や親から

止められていたのでしょう 悩み事や愚痴など

一切私には  言いませんでした

私も自分の病気による 社会への愚痴 悩みは

女房に言ったことはありません

父は学歴のないことで 苦労したのでしょう

大手電力会社の前身の会社から勤務し 定年を迎える頃には

40有余年 永年勤務の  表彰状をもらいました

大事に額に入れて  飾ってましたが  私の過ぎた一言で

二度とそのB5判の表彰状を みることはなくなりました

どうせ くれるなら もっと大きいのくれればいいのにねえ

その一言です

父は私が小さいころから 退職後も10年勤めた

小さな会社のころも 朝も夜も 新聞を読む人でした

広告の裏紙を閉じて 記事や 自分なりの考えを

書き記していましたし 辞書を手放さない人でした

男とは何か 人の偉さとは何か

寸分たがわず 私は 自分の父の姿を思い出します

父は私の前で 一度たりとも 自分を威張ることもなく

自分を吹聴するような 軽薄な人間でも ありませんでした

寡黙な父と どれくらいの会話が あったでしょうか

背中を見て育つとは そういう言う事なのでしょう

世の中で  尊敬する人 私にとっては 自分の父親です

今日は ほでてんごう氏の 許可を得て

レコーディング前の 歌詞を掲載 公開します

 

歌詞 昭和Ⅱ     詞  ほでてんごう

うなされては 高い

熱を出し 泣いた

ハイヤーを 呼ぶ黒い

電話さえ ない時代

背負われて 一時間

月明かり 照らす道

父と母ふたり 私のために

訪ねた お医者さん

叩く玄関 文句もいわず

女の 先生が

 

幼なき日の 記憶

切れぎれの パズル

背負われた それだけで

安らいだ 父の背で

懐かしいまでの 男の臭い

 

初盆過ぎ 母も

フトンでの 生活(くらし)

失くしてく 人生は

愛犬と 語る日々

昭和を生きた 親が愛おしい

昭和を生きた 親が愛おしい

 

 

錯簡雑記 人間関係

職場は仕事をとうしての 上司 同僚 取引先 お客さんと

自分の好き嫌いや   苦手なタイプ 話の合う人など

個人の感情に関わらず 会社という組織の中で

役割分担による人間関係を 拒むことが出来ません

その人間関係が ストレスを呼び 病気を引き起こす

きっかけになる事も 十分に考えられるのです

会社も区切られた    社会の一部ですから

その会社だけの 慣習というか癖   というようなものも

あるかもしれません 経営者と従業員の 雇用関係は

それなりの    機関が有って 労働基準法にのっとり

管理調整されてますが    それでも新聞紙面を騒がす

労働者の補償の問題や   争議などをみると    わかると思います

男子 ひとたび 外に出れば 七人の敵有り

と時代劇みたいに うちの母は

父の出勤の度 玄関で切り火をして 送り出していました

今は    男性も女性も    ありません 一人の従業員が

会社の慣習や   癖みたいなものや 同僚や取引先

お客さんの人間性を    とやかく言っても    どうしょうもありません

自らがこのストレス社会に 勝ちはしなくても

負けない人間に    なっていく為には

まず一つに 身体がひよわで 病弱な人は

ストレスに    立ち向かえません

健康なだけではなく ある程度の体力が    備わっていることが

重要です

もう一つに 適当に不真面目な事

真面目が   悪いというのではありません

真面目を どこまでも貫きとうせるなら     申し分ありませんが

人の世の中 何処か誰も    手前勝手な    一面があるものです

そんな社会で   一人だけ真面目を貫きとうせる

ならばそれだけで ストレスなんか    跳ね飛ばせます

病気の心配は   ありませんが    かたくなに 何もかも

真面目に   固執しないで 柔軟な考え方も   必要という事です

最後の一つは コミュニケーション 挨拶程度からの

軽いお喋りをして    気が合う人や わかるような気がする

という 意思疎通のできる    友達を作りましょう

現代人なりの    ツイッターや    フェイスブックなども

使える道具だと    思います

冷たいようにも    思われるかもしれませんが

今の世の中 過干渉にも     気を付けた方が    よいとも思います

病気を治すのも    そうですが

いらぬ おせっかいをしても 結局 自分でわからないと

また自分で治そうと しない限りは どうしょうもありません

最後は そういうものだと思います わたしはそうでした

それではまた

 

 

 

錯簡雑記 居場所

幸せについては 前にも記しましたが

幸福と幸せは 違うものなのでしょう

レトリックからくる    ニュアンスかもしれませんが

幸福には お金が関係してるようですが

幸せには    日常の生活 至る所に    存在してるような気がします

私と女房は 未だ共稼ぎですが     女房を迎えに行っての

帰りの道中で 一本の缶コヒーと 100円菓子を一つ買い

二人で 卑し喰いしながら 帰るのが 一番幸せです

この病を患うと 穏やかである事の 幸せを 尽くづく感じます

何ら変哲のない 毎日の生活 変わらないから 幸せであります

生活の土台を 踏み越えた 妄想のような 幸福を求めるより

変わらない生活の 幸せを 私は特に感じます

居場所の話ですが 家にいても

何かせつかれるように 落ち着かない 時期がありました

何処か外に行けば 何か欲求を満たせるような 気がしたり

誰か人と会って 話をしたかったり

話し相手を求めるお年寄りが 大した買い物もせず

コンビニの店員と 話そうとしていたり

スーパーのベンチに たむろしていたり そんな姿を見ると

健常者でも病人でも 人との触れ合いや温もりを 感じたい

歳をとると 尚更 そんな気持ちを 持つものではないかと

思います

家族が欠けてきたり 一人暮らしになると 人の情けに触れる

それだけで幸せになる

コミュニケーションや 人の温もりを感じる居場所

施設も あるみたいです

自分の住まいだけでなく 何処か外にも

自分の居場所を 持ちましょう

最後に 幸せは お金ではありません と私はそう思ってます

それでは

 

 

錯簡雑記 歌詞 ピン

歌詞 大人では本意を 誤解される恐れがあるので

公表を 控えていたそうですが

本日はほでてんごう氏の 別の歌詞

ピンを公開します それでは

 

ピン       詞 ほでてんごう

生まれも育ちも しょうがない

それがおいらの 罪なのか

肩で風切る おえらいさん

世の中人生 サイの目ひとつ

丁も半でも 盆のうえ

たまにゃこぼれて ピンの目ふたつ

 

酒(キス)ぐれやさぐれ 脛の傷

仕方なかった しのぐ道

肩で風切る おえらいさん

世の中人生 金だけすべて

いいも悪いも それが為

はぐれこぼれて 人世のお釈迦

 

恋とか愛とか 似合わない

情婦(いろ)のからだを まさぐって

肩で風切る おえらいさん

世の中人生 最期の最期

丁か半かは よみきれぬ

逝ったあの世も ピンの目ふたつ

 

錯簡雑記 歌詞 大人

私の師事する ほでてんごう氏の

嫌いな キーワードが 四つあります

一に 権力 一に 拮抗する賢威(宗教など)

もう一つに 薄っぺらい感情の 熱狂

最期の一つ 数を募っての物言いの 大多数

以上四つが ほでてんごう氏の 嫌いなキーワードです

それでは 歌詞を掲載します

 

大人   詞 ほでてんごう

たったちっぽけな アリンコみたいに

誰が踏みつけても 涙もこぼさぬ

親の顔さえ知る あいつが詰る

愛を誓った こいつが裏切る

結局一人びと 横に一と書き

人を重ねて 人と送る

大人をはしょって 駆けるひたすらに

金が世の中と またさとされて

 

苦労話なら たくさん知ってる

泣いて泣き濡れても 人生背負ってく

人の真似上手な あいつが伸して

欲に集へば とりまくハエ達

十年二十年 語るにははやき

花はいいわけ ひとつ知らず

正義をつるんで 裏でつかむ金

それも世の中と またさとされる

 

人世はぐれても ただ人そのもの

いつか金つかんで 投げつけたいけど

天に唾はいても 己にかかる

おろか者めと 世間に笑われ

結局一人びと 横に一と書き

人を重ねて 人と送る

大人をはしょって 駆けるひたすらに

金の世の中と またさとされて

 

錯簡雑記 世の中は

政治も宗教も何もかもお金 特に安倍政権になり

強い日本 発言から 先々を危惧したものですが

心配どうり 強権政治を行ってます

価値観の多様性 生き方の多様性さえ否定する

世の中の価値 人間の価値は

お金一色に 塗り固められました

一億総何とか 結構です 新三本の矢も結構ですが

財源のない状態は 小泉主相の前の時代から

引きずっている問題であり 野放しな金の使い方をしてきた

自民党の問題 政府の手っ取り早い 歳入手段としての

消費税の増税は 輸入原材料の高騰を呼び

大手企業の 下請け中小企業いじめを

招き 勧告を発令する状態

頑張って働いて来た 中小零細の企業は

不景気の中 消費税が上がるたびに

コストの削減を 余儀なくされ

品質を何とか落とさずも 商品を安くしないと売れない

苦労しながら 知恵を絞って 商売をしのいでいる

その現実の抜本策が 魔法の円安主導ですよね

昔 鉄鋼不況の 時期がありました

大手製鉄会社が 政府のテコ入れで 売り上げを伸ばしました

缶コーヒーの 缶です

おかげでリサイクル率 70%の 瓶の製造会社は

軒並み 倒産しました

缶代をとられたうえ リサイクル料まで背負わされ

挙句の果ては ボランティア活動で缶ひらい

小さい会社 人の良心を逆手にとって

企業全体の10%程度の 大企業で働く社員ばかりの

国民だけとでも 思ってるのですか

裏でどんな 策謀があったのか知りませんが

貴方はいつ頃の 経済社会を 頭に描いているのですか

拡大再生産 資本主義の 行きつく先が 近付いてるという事が

解かってない 証拠ですね

経済も商売も 一言 差異にすぎません

金はその差異を 埋め合わせる 便宜上のもの

何処に行っても いつでも似たような 差異のない商品

マニュアルどうりの 決まりきったサービス

購買意欲など 高まるはずがない

いらない物が 溢れかえって

同じような サービスばかりの物なら 安い物を買う

そんなことは 当たり前の人情でしょう

バブル期の 建設省の予算は

ダントツに 群を抜いて40兆を超えてました

そのころの 国家予算総額は 70兆でした

コンクリートの 寿命は 海砂の関係で 50年

この頃に建てた 公共構造物や ビルは崩壊の危険性が

露呈してるにもかかわらず 新設の公共工事を執り行う

オリンピックも いいですね

今年の国家予算も 突出している省庁は

昔の建設省ですか

今は どう区分けされましたか

災害の 普及工事もあるでしょう

40兆を 超える 予算組みましたか

政治家みたいな者に なれる事もないでしょうし

なるつもりは ありませんから 私は黙して 関わりませんが

今度ある選挙も 今までの選挙も

国民の 半数近い人間が 権利として

押し付けられた投票に 参加しない状況が

あなたたち政治家 解かってますか

政治家 いらん といってる国民の真意が

たまには 浮動票といわれる 国民の一人一人も

利権者や 団体だけに 都合のよい世の中になってる

日本の国政に 権利を使って モノを言ったらどうですか

大きな バッテン付けて 投票しなさい

棄権票ですが 白紙で投票すると 利用される

浮動票が 次から次に バッテン投票されれば

どこかで ニュースの種となる

国政に お前ら いらんと叩き付けなさい

あ ごめんなさい 話がだいぶ逸脱しました

明日は 私の拙文より アクセスの多い

ほでてんごう氏の 大人という歌詞を掲載します

大人になり切れない私は 生きていければよいのではないかと

強い日本 作りと 逆行しながら 逃げ口上を唱えてます

ほでてんごうの句を 最後に掲載しておきます

 

浮動票 突き付けてみよ 国政に 白紙投票 棄権にあらず

それではまた

 

 

錯簡雑記 健忘症について

物忘れについて 記してみようと思います

加齢による 老化の症状と してではなく

精神病を 患っている時の 物忘れについてです

投薬を受けていると 薬の成分がそうさせる

薬の影響というより 作用ですが

私は薬を断って 働いていたので 薬の効力は関係がない

上司や同僚からの 指導 注意 連絡など

その場で言われているのに 何か別の仕事に

取り掛かかったりしてると 忘れてしまっている

言われたことや 物の置き場所など

すっかり 忘れてしまうのである

特に 物の置忘れが 多かったような気がします

頭の中は 病気で回っている

平静を装って 仕事をしている中では

物忘れ 一時的な健忘症は よく起こるものです

病で占拠されて 目いっぱいの時や 過動作をしてるような

精神状態の時に 起こっていたような気がします

対処法としては 指示や注意 連絡などに関しては

声出し復唱や メモ

置き忘れや 行動処理に対しては 鉄道マンが作り出したと聞く

指差呼称がある

一時的な健忘症は つじつま合わせが大変だったし

知的障害も疑われたり

周りからも 愚か者 扱いされたものですが

それではまた

 

 

錯簡雑記 歌詞 キャッチ

キャッチ     詞 ほでてんごう

I LOVE YOUと

子供が つづる

恋とか愛とか おさない時代は

とうに 過ぎたけど

 

二千年の愛を あなたは誓い

もったいをつけては 命を奪って喰らう

パンの麦 米の一粒 痛いと泣けば

私の罪は そこから始まるの

 

クロスとか珠数や 髭をはやしたり

おろかな命の 限りを 知らぬ世界で

あなたの キャッチコピー

時効を 迎へているけど

 

ボランティアと代わり 奉仕は消えた

おめぐみの文句を 意味さえわからず謳う

パンの麦 米の一粒 痛いと泣けば

私は愛の 言の葉嘘を聴く

 

クロスとか珠数や 髭をはやしたり

さまよう命の 限りも 知らずわからず

いつまで キャッチコピー

銭金 かせぎに使うの

 

錯簡雑記 一期一会

発病のころで 記したと思いますが

長崎に サークルで行った スケッチ旅行で

発病したのですが その時帰るため

時間待ちしていた駅から 一人で北九州小倉まで

歩いて帰ろうと 宵闇の道に向かった時の話です

同じ年代の男の人が 夜の道を歩いていましたので

帰る道の方向を 尋ねたところ 無謀な申し出にもかかわらず

途中まで ついてってやろうと 同行してくれました

30分か 1時間だったと思います

同じ思春期の悩みを 持ってるような気がして

彼の名前 良成に 意味が在るように

親御さんが 良くなりなさいと 名付けたのだとか

今から考えると 見ず知らずの他人に 失礼な話でしたが

道中 私なりに

一生懸命に彼を 動機付けたり 鼓舞して応援しました

彼は 昔から知っとったみたいやねと 小店でパンを買い

二つにちぎって 二人で食べながら 歩いたことを覚えています

たったそれだけの 一期一会の 友達ですが

どうしてるだろうかと 時々思います そのころ私は

心の悩みに どの宗教も うさん臭くて

その根から  わかってない教えに

信仰など 一つもしてませんでした

私は私なりの宗教観と いうものを 自分独自の

考え方としての 自分の宗教というものを

持つようになりましたので どの宗教に

も縋ることなく 病気を開放の道に

導くことが出来ました

金の問題 何についても ついて回る

この問題と 宗教を唄った 歌の歌詞を 次回紹介します

それではまた

 

錯簡雑記 ゼロに戻して

病気を治すのに 手段として働くことを勧めました

単純作業が より良いとも言いましたが

作業自体には 意味はありません

それは企業の 利益を確保する為の

システムの 一環としての仕事であり

こんな事をしていて 病気が治るのだろうかと

問うには及びません あくまで作業は

集中する 道具と思ってください 道具です

より早く より確実に というのは

その集中力を 途切らせない 意識付けだけの話です

より早くで なくても

問題なのは 作業に集中できていて

病気の 入り込む隙間が なければよいのです

常人の域にない 病気への集中力を

他の事 仕事などに向ける事の コントロールが

できるようになれば あなたはそれだけで

社会的にも 人生においても 勝利者になれるのです

ここで ほでてんごう氏の

あの人の句集から 一文を掲載します

 

マイナスを ゼロに戻して プラスにし 大絶対値 めざせ人生

 

病気から立ち直って その分 厚みのある

幅の広い 人間になりましょう

それではこれで

 

錯簡雑記 お話と話し

お話と 話は ニュアンスが違う と思うのは

私だけだろうか お話は世間話的なもの

話といえば 個人的な 深刻な内容を 指すような感じがする

このお話と話し 病気になると 誰かに

いや世の中 すべての人間に わかってもらいたいと願う

その話を したいのであるが 聞き手にうまく

伝わらないので もどかしい思いをするのである

今日はもう一つの お話の重要性である

世間話は 人の陰口や 噂話など

マイナスなイメージを 払拭できないが

芸能人 政治家 スポーツ選手など

非個人的な 職業の世界の 人間の話なら 罪はなかろう

お話の材料は 事欠かない

季節 天候 ニュース 道楽や趣味 旅 家族や

衣食住のお話 スポーツ それに健康などなど

お話による 当人同士の 共有感

合致点による 親近感が よいところで

知らない 人間同士が 挨拶やちょっとしたお話で

コミュニケーションが 図れていくのである

お互いに わかるような気がする という感情を抱ける

付き合い方が出来る 友達がいると いないとでは

開放の道を 歩くスピードが 違うような気がする

話が通じないと 殻に閉じこもらずに

一度に 自分をわかってもらおうと 押し付けたり

投げ出さず お話をして 相互に理解の道を深められるような

わかるような 気がする からの ヒト付き合いから

開放の道の 道しるべに なっていくのでは ないかと思う

それでは また

 

 

錯簡雑記 幸せとは何か

歳を取ってきて 私は幸せだと思っている お金こそないが

カツカツでも 何とか生活ができる

先々 健康の不調とか 体の疾病 年金問題とか

いろんな問題が頭にない

考えてないから 今が幸せなのかもしれない

病気とは一体何だったのかと 振り返って思うのである

ただ普通に 普通の状態に 戻ればよかったのである

あなたは 普通だからいいねと

同じ闘病中の 人間から言われたことがある

普通に働いて 稼いだお金で 生活が出来て

泣いたり 笑ったりの人生

病気を患っていても 健常者でも それぞれの人生

感情の振幅 片寄りこそ 差が有れ

本人にとって 普通であれば 普通なのである

病気を 病気として認める それだけでも

普通に なれるのかもしれない

受け入れてくれる あなたと社会であれば

それではまた

 

錯簡雑記 歌詞 泣いて笑って

泣いて笑って    詞 ほでてんごう

 

泣いて笑って えじゃないか

生きてることに 意味がある

人と比べて 背伸びするより

何も出来ぬと 悔やむより

ほうら隣りに もうひとり

草木萌える 春に佇んで

 

泣いて笑って えじゃないか

生きてる事に 意味が在る

おれは男と 威張り散らそと

女歳とりゃ 生える角

ほうら隣りに もうひとり

汗拭きながら 鍋を火にかける

 

泣いて笑って えじゃないか

生きてることに 意味が在る

誰がどうした こうも言ったと

とるに足らない 浮き世風

ほうら隣りに もうひとり

お喋りしたい 秋の淋しさよ

 

泣いて笑って えじゃないか

生きてることは そんなこと

いつも笑へば 嫌なことさえ

みんな忘れて 幸せに

ほうら隣りに もうひとり

目鼻が泳ぐ 曙の福笑い

 

錯簡雑記 歌詞 五分の魂

五分の魂         詞 ほでてんごう

心つまづき つとめ失ない

世間追われた 自分を責める

弱さをくやんで あおる酒

光に集まる 夜の虫

日向の暮らしが 恋しいか

涙も流れぬ 深い闇

 

病わずらい 臥せるおまえが

ごめん許して 呟き泣いた

こぼれる涙を 拭きながら

やつれて細った 薬指

躰を厭わず 働いて

おまえの苦労が 痛ましい

 

五分の魂 夜の虫でも

ちゃんと持ってる 男の意地を

すべてを忘れて 流す汗

どんなに世間が 詰ろうと

命のひとつが ひたすらに

幸せかならず 来る日まで

 

錯簡雑記 開放の一手段

心の不安や 葛藤 幻聴との 対話の内容

自分を責める 文句などなど

心の中で 起こっている 悩みや 病気の症状を

記録として はっきり後から 読めるように

病気ノートをつけましょう

病気ノートを つけることで あなたが いつも悩んでいる

ことが 記録を辿ってみたら 同じところで

引っかかっていたり

いつも 同じようなことで 責められていたり

堂々巡りを してないか

あなたの 病気の考え方の 癖を調べましょう

病気で回っている頭の中を 書き記すことで

いつも同じことや 考え方の癖が 発見できれば

それは どこから来ていることなのか

自分で自分を カウンセリングする 手立てとなり

それなりに 原因は何か

性格的な物か 過去の経験から来たものかなど

自分の病気を 分析する材料に なる事は明らかです

医者との問診を 都度都度 自分で行うみたいなものです

病気ノートを 医者に見せて アドバイスをもらう事も可能です

なるべく 症状の起こっている時 直後に書き留めましょう

うまく書きとめようなどと 考える必要はありません

症状の記録に 心がけてください

いつも何か 同じところを 堂々巡りしている

いつも同じような 考え方をしているとか

自分の病気の 癖を知る事が 大事なのです

それではまた

 

錯簡雑記 集中力の切り替え

ある程度の 病識がある段階では 単純作業の

職種を 選んで働くことを お勧めしましたが

それは病気に 向かっている集中力を 切り替えるのに

都合のよい 便宜上のものでもあります

病気をを機に 今までの生活を 捨てあるいは捨てざるを

得るしかならなくなり 手に職をつけようと思ったり

いっそのこと 勉強して資格を 取って生活することを

考えてみたり それぞれだと思います

要は具体的に 自分がどうなろう どうしようという

切実な 目的を 確立できればよいのです

それが出来れば 期限を決め ただ闇雲ではなく

しっかりと 計画を立て 目的の達成を 日々毎時間

追いかけていけば 良いのです

職人として 生きる道を選べるなら 勉強もそうですが

逃げ道を 自らの意識から 葬り去れないと

自らの切実で 具体的な 目的設定とは言えません

いろいろ迷ったり 考えるでしょうが 決定したら

すべて その目的にかけ 立ち向かう事が

病の回復はもちろん 遅ればせながら

人生の 勝利者としての道を 歩めるかもしれません

疲れ果てて 帰ればただ寝るだけの生活を

私も送ってきました そんな生活を 送っていれば

時があなたを 回復の道へと 導いてくれます

ただ具体的な 目的の設定がなければ

思うようには なかなかゆきませんが

あとは 病気への集中力を 利用して

目的に 打ち込めばよいのです

難しい道ですが 目的さえしっかりしていれば

逆に病気の集中力が 味方してくれるようになります

それではまた

 

 

錯簡雑記 発病のころ

今から考えると 当時 病名も存在しなかった

うつ病だったと 私は思います

大学受験に挫折し予備校をやめて

しばらく虚無感にさいなまれ 横になっている

事しかできない状態から 一年が過ぎたころ

自分で就職しようと思いました

お金を稼ぐためとか 生活の目的の為とか

そんな意識は低く 親の元で甘えて

いた私は 働かなければならないのではないかと

漠然とした気持ちで仕事につきました

バスと電車 待ち時間を入れて 通勤に

一日4時間かかってました

電車の時間の折り合いが悪く 30分ぐらい早く

会社に着くので 何の計算もなく会社の前を掃除してました

入社して一週間たたないうちに 事務所のカギを預かる

ようになり 今度は事務所の中と外を掃除し

就労時間を待ちました

病気の為に 人一倍の通勤の疲れから 会社の仕事はそれなりで

上司に迷惑を かけていたと思います

そのうち地元の営業所勤務となり 休日に仲間と行った

サークルのスケッチ旅行で 発病し 異常行動をとり

その後も 会社に勤務してましたが ちょうど給料日に

いよいよ状態が悪化して 上司に付き添われ帰宅し

その日の夜 当時知り合って間もない彼女と

結婚するといって家を飛び出し 遠方の彼女の家に

向かう途中で 錯乱状態になり警察に保護され

お決まりの 入院となったのです

当時の病院の保護室は 非人間的で 犯罪者の

入所施設みたいでした

今でも コンクリートの壁に囲まれ 露出した便器

天井近くの 鉄格子のハマった 明り取りの窓 鉄の扉の保護室

を覚えています 明り取りの窓だけが

外の世界とのつながり 家や社会が恋しくなったころ

配膳や 薬 注射を打ちに来る 若い看護婦さんに

親しみを持ちました 病気をやさしく分かってくれる誰か

それが異性であれば 本能的にも落ち着くのでしょう

思春期の鬱が高じて 私は病気になったのですが

現代の社会は いろいろな面で

誰が病気になっても いやなりうる世の中だと思います

精神病も 特異で珍しい 病気ではないようです

わかってくれる誰かが いつもそばにいてくれれば

よいのでしょうが それでは今日はこれまで

 

 

錯簡雑記 心のシグナル

ためいきやあくびを 周囲の目を気にして不謹慎だと

我慢する人が多いと思います

しかしこれは心のシグナルなのです

精神的に落ち込んだり疲れた時 ため息やあくびが

出ることがあります

あくびは ただ睡眠不足からだけで

起こるものではありません 落ち込んだり疲れた時にも

起こります なぜため息やあくびが起こるのか

それは本能的に 体のバランスを 自分自身で

サポートしているのだと 私は思ってます

私は 統合失調症と診断される前 初期の状態は今から思うと

当時 病名も存在しなかった うつ病だったと思います

それこそ 自己治療で病院には行ってません

その時 虚無感に打ちひしがれて ただ横になっているしか

できなかったころ 吐く息を長く吐ききると

いくらか 気分が落ち着く事に 気が付きました

あくびは できれば睡眠をとりなさいという シグナル

私は あくびの吐気の中には 催眠作用を引き起こす

成分が含まれていると 勝手に考えてます

首筋 肩 背中の筋肉のこわばりコリも 何も

肉体的疲労ばかりではありません

精神的疲れ 神経の高ぶり緊張があると 体のこの部分が

硬直して凝ってきます

最近ため息 あくび 肩こり 頭痛 食欲がないとか

食べすぎるとか 眠れない その他にも症状があるでしょうが

これらの症状が 頻繁に起こってる場合

ストレスからくる精神的な疲れがないか

考えてみる 必要があります

心のシグナルを とらえるのは重要です

ため息は長く息を吐ききる あくびや眠れ

ないときは 一瞬の精神の 弛緩に寝る 私独自の睡眠法

体を金縛りのように 身動き一つせず

頭の中の 精神の一瞬の弛緩にまかせて寝る

というやり方や インド古式の睡眠法 たしかビンドーでしたか

肩こりはもみほぐし 頭痛はこめかみ 目頭の上部 頭頂部

近くのそれぞれのツボを指圧 食欲は無理に食べる

必要はありません 断食をすれば慢性病が治るとも

いわれてますし ある国では国家行事として宗教的に

食を断ったりしてますし 食べ過ぎには

一度口に入れたものを 何回もよく噛んで

食べる咀嚼の方法など

何も薬を 飲むばかりが 解決の方法ではありません

それではまた

 

錯簡雑記 コミュニケーション

私の時代は 今のように精神医療に関する環境は

整備されていませんでした 入院中 通院中は 他の患者仲間

との触れ合いが それなりに気分を落ち着かせたものです

私が闘病中 何より生きているという

思いを実感できたのは 一般社会の好きな

漫画のサークルで集う 仲間たちといる時でした

色々な個性の 年齢の違う 仲間たちと 好きな事という

共通点で結びついた コミュニケーションは

今では 40年の歳月を超えています

もちろん 私が病気だったという事は 皆知ってます

現代は昔とは違います 私は生計を立てるのに

病気を隠して 無理に働いてきました

ばれはしないかと いつも不安で ちょっとした事で

空気が変わったような 感じがしたものでした

何回も再発し その度ごとに 人生を捨ててきました

しかしまた発病したからといって 病気を恐れ

自分自身まで捨てていれば いまの私はありません

現代は就労支援の施設まであります 再発しても私のように

度々人生を捨てるような事も なくなってきてると思います

支援員が 常にサイドからカバーし

調子が悪ければ 休憩もとれ 途中で帰宅することも可能です

私の時代は 多少は今でもそうですが 白い目で見られる

そんな時代でしたから

生活という目的の為 我慢して 辛抱し

その上に 忍耐を重ねて 働きました

一人で病気と 社会と闘う事は 並大抵の苦しさではありません

精神病に対する 理解の深まりと 法整備の上に

現代は 環境が整いつつあります

実社会での私のように苦労の道を あえて歩かなくても

施設で就労の訓練をし そこから地域の会社で働く

移行支援という 新しいシステムも 施設にはあります

コミュニケーションの 話でしたが

施設での茶話会が生きている実感でもよいでしょうが

社会で 好きなサークルに参加するなど してみることも

大きなプラスに なると思います

同病相憐れむ これだけで終わってはいけません それではまた

 

 

 

錯簡雑記 常人の域を超えた集中力のとらわれ

現代の日本の 精神医療は治療でないのではないか

医者は患者に対し 薬合わせをしているだけではないのか

パスカルは 人間は考える葦だと 金言を残しました

薬漬けで 考えなくさせるのは

廃人を作り出している加療ではないのか

そうも思う事がありました

病気を治す特効薬は ストレスです

ストレスで病気になったのに 何をバカなとお思いでしょう

四六時中 頭の中は病気で 占拠されてます

言い換えれば 常人の域を超えた

病気に対する 集中力に振り回されているのです

そこで ある程度の病識が備わっていれば

単純作業の 仕事に就くのが ふさわしいと思います

社会に出て何かを 当然働く道を選ぶ事により

社会人としての 生活が可能となります

初期の段階では 単純作業をお進めするのです

そこで ストレスで病気を治すとは何か

精神病は すべてではないかもしれませんが

常人の域を超えた 集中力に捕らわれているのですから

これを 単純作業に振り替えるのです

仕事に向かう 集中力を維持するのに ストレス

負荷を 自分で 自らに与え使うのです

このストレス 言い換えると 以前にも記しましたが

目的を 与えること

単純作業では 作業のスピード化 という目的

病気で 頭が回っているから なかなか手が進まない所に

意識して より早く より確実にと 次から次にと

作業のスピード化をはかり 切れ目なく 自分に与える

より早く より早く より確実にと 負荷を

ストレスを 与える事によって 病気に向かっている集中力を

振り替えることが可能となります

病気を 作業中忘れる 自分で 自らに与えるストレスが

逆手に病気への特効薬なのです それでは今日はこれで

 

 

錯簡雑記 調子がいいとか悪いとか

病を治す 絶対必要条件を もう一つ 記しておきます

それは 病識が あるかということです

妄想の 真っただ中で 自分でそれが 実際の事だと

信じている場合は 難しいです

症状が出ている時は 病人は皆 そういう風に

思うから 病気なのですが 私もそうでしたが

ある程度 外から自分を 見る目が 育ってる段階

調子がいいとか 悪いとか 自分でわかる状態にないと

開放の道は 遠いと思います

この段階にあれば 何らかの形で 働くことを お勧めします

病識を 持てる段階に ある方は心がけて

常に現実の認識を すべきです 幻聴 幻覚などの症状は

本人にとって 実際に 聞こえたり 見えたりしているので

表現としては ふさわしくありません

内耳覚とか 内視覚とか まだぴったりしませんが

健常者の 立場からではなく 病人サイドで

表現すべきだと 思いますけど

幻聴は 小型の ICレコーダー

幻覚の方は 手ごろなのは 知りませんが VTRなど

本人の耳には 音として また本人の目には 映像として

存在してないことを 確かめる

社会では 人から奇異だと 思われるかも しれませんが

本人自身の 確認が 大事なのです

この病気は 自分以外の他人が 現実を突きけたり

理屈で 説明しても 通用しません 本人自身の 現実の認識

確認が 大切なのです

調子がいいとか 悪いとか 自分で わかるような段階なら

常に外の目をもって 現実の確認 認識作業を

できうる限り 行うべきです

それではまた

 

錯簡雑記 制約のない自由 な世界

前に記述しましたが 病気が 治癒したという

社会的証明は この病気は 得られません

しかし 治る 治らないという事も 社会に出て働き

賃金を貰い 稼いだお金で 生活出来れば

何も 恥ずかしい思いを 持つことはないのです

一つの病気という 個性を持った社会人として

基本的人権に守られ 社会の補償を受けるのですから

罪悪を感じる事は ありません

合法的な 社会の仕組みですから 差別を受ける

対象にはなりません

差別と 書きましたが 皆さんは 差別というものを

誤解してます

正義をつるんで 裏でお金をもらう

そんなことが 自ら 自身を卑下する材料に

なるのかもしれません 現代の社会ですから

旧来の昔の時代とは 違います 差別教育も

法整備も整いつつ 有ります 大事なことは

自分で 自分を 差別しないということです

人の思いは 自由です 考える事に 何の制約もありません

高い倫理を 持ってる人 そうでない人

善であろうが 悪であろうが 何を思おうが 考えようが

表出する 文言や 行動には 社会的な責任がかかる

という事さえ わきまえていれば

心の中は 何の制約も 規制も 持つ必要のない

自由な 世界なのです

善も悪も 宗教も 政治も 何ら関係が有りません

ただ わきまえていれば

だからこそ あなたの事を とやかく言ったり

噂話を されたとしても

あなたの 考える事が 自由であるように

他の人も 自由なのですから 人に世間に 動じない

しっかりした 自分であれば よいのです

私の歩んで来た 開放の道程は 薬 医者 宗教に

縋ることなく 私を強い人間に 変えました

あなたも 人や 社会や 病気に 振り回されない

しっかりした 自分になる事が 出来るのです

それではまた

 

錯簡雑記 絶対必要条件

心の病気を治す 絶対必要条件を 一つ書いておきます

それは 何々の為にという 自分以外の 人や物などの

具体的な 目的設定が必要 欠かせないと言う事です

母親の為 女房の為 子供の為 彼女と結婚の為のお金とか

この車を買う為とか 家族が暮らす家を建てる為

特定した事業を 手掛ける為とか

自分自身に 逼迫した切実な 目的の設定や

自分本人以外の 愛する人の為と いうのが

動気付け モチベーションとしては 一番良いみたいです

病との勝利の道を 歩くためには 自分本人の

病気を 治す為というより 切実で逼迫した

具体的な 目的の設定の方が 自分の病気を治すという

同じ目標でも 違ってきます 自分自身の為は

せいぜい 一生懸命のレベルで

雨風吹けば へこたれてしまいます

必死になれる 具体的な目的設定こそが

病気を治す 絶対必要条件です

それではまた

 

錯簡雑記 三つ子にさとされる

風邪が治って 薬を飲んだり 医者にかかる人は

まずいないでしょうし 風邪が治ったという

診断書も書いてもらえるでしょう

精神病は治りました 治癒しましたという

社会的な証明は 得られません

医者は再発の危険性に 医者の責任があるため

この病の 治癒しましたという 表現の診断書

はかけません 私は22年前 精神薬の服薬を

自ら断ちまちました

飲む必要が なくなったというより 薬を飲むと

お金に困って当時 朝昼晩と働いていた

アルバイトの仕事が 眠かったり 薬に抑えつけられて

出来なかった為です

仕事の休みにも合わず 通院は30年前に止めました

薬は 女房が私の代わりに 問診を受け 貰ってましたが

飲まなくなりました 今では必要性がありません

18歳の時発病し 病気を隠して働き

病の為 職を転々と 変えたりしましたが

結婚もしました 子供にも恵まれ

その子が三歳になったころに 幼稚園にやると 告げたところ

お父さん 幼稚園に行くには お金がいるんよ

わが子のその言葉で 私は金鎚で頭を叩かれた

そんな思いがしました それから私の病気との戦いが

始まったのです それでは今日はこれで

 

 

 

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